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2013年12月10日 (火)

殿中でござる~~

時は江戸時代の前期で、かの有名な水戸黄門様こと‘徳川光圀’がまだ存命だった延宝八年 5月8日(=1680)、この日江戸城では四代将軍‘徳川家綱’が亡くなるという一大事が起こりました。

その後を継いで五代将軍になったのが「お犬様」で有名(悪名)な、あの‘徳川綱吉’がでありました。その将軍職継承には徳川光圀が強く関わったことは知る人ぞ知るですね。

新たに将軍となった綱吉によって、亡き四代将軍の家綱のために同年の6月24日に芝増上寺において大法会(だいほうえ)が営まれることとなりました。

平たく言えば、今でいう四十九日法要ですが、征夷大将軍の法要ですから国家の大行事です。
直ぐに行政の実務の長である大老の酒井忠清によって大法会を指揮する奉行が任命されます。任命されたのは、3名の幕府要職者(老中)でした。

    1. 永井信濃守尚長丹後は宮津藩(現在の京都府宮津市)の藩主
    2. 内藤和泉守忠勝」=鳥羽藩(現在の三重県鳥羽市鳥羽志摩)の藩主
    3. 土屋相模守政直」=土浦藩(現在の茨城県土浦市)の藩主

この酒井忠清の人選(ミス)が、世にいう‘増上寺刃傷にんじょう)事件’という大事件を起こすことになります。 

この3名の内、永井尚長と内藤忠勝は隣り合った藩で、非常に仲が悪いいわば犬猿の仲だったのです。
この時、3名の中でもっとも年上の永井尚長が事実上の筆頭者(松本清張の「増上寺刃傷」では永井は将軍名代、内藤は奉行となっている)だったようです。

ですから、高飛車な態度で永井は内藤などに指示や意見を言ったのでしょう。それでなくても短気な内藤としては面白い訳がなく心中は永井に腹を立てて爆発寸前だったのでしょう。

そして、ついに6月4日大法会の当日に堪忍袋の緒が切れ、将軍が居る所(殿中)にもかかわらず増上寺内において内藤は刀を抜き永井を殺害してしまったのです。

 『徳川実紀』より
この日 増上寺
ぞうじょうじの法場ほうじょうに於て内藤和泉守忠勝ないとういずみのかみただかつ失心し佩刀はいとうをぬき、永井信濃守尚長ながいしなののかみなおながを刺し殺す。」

 『御当代記』では
「永井信濃守・内藤和泉守両人義、於増上寺御法事の節喧嘩仕相果候ニ付、跡を御絶し被成候」

上記はその様子の記録ですが、片方は「失心=狂った」、かたや「ケンカ」と微妙に違いますが、推測すると「口論から逆上し殺害」ということでしょう。

これによって事件後、内藤和泉守はの27日には愛宕青竜寺にて切腹(三田功運寺に埋葬)となり、鳥羽藩はおとり潰し、そして殺された永井の宮津藩も嫡子が居なかったので改易(後年に再興)という、双方の藩には残酷な結果になりました。

 余談ですがこの時、刀を持ったままの内藤和泉守を「殿中でござる」と後ろより抱きとめ、刀を奪って目付に引渡したのが湯本藩、後に湯長谷藩(現在の福島県いわき市湯本)の初代藩主「遠山政亮」という人物で、この功績により禄高がアップされています。

そして、この湯長谷藩という小藩と遠山政亮初代藩主から数えて4代目藩主の内藤政醇と家臣たちが、映画「超高速参勤交代」の題材とモデルになっています。

ここまでくれば気づくでしょうが、このときから約20年後の元禄15年12月14日(1703年1月30日)に起きた「赤穂浪士討ち入り」の発端になった、元禄14年3月14日(1701年4月21日)の浅野と吉良の江戸城刃傷事件にあまりにも似ていますよね。
というかソックリな刃傷事件ですよね。

ただソックリ事件と言うだけではありません。関連がとても多いのです。

    1. どちらの刃傷事件も、5代将軍徳川綱吉の時に起こっている。
    2. 増上寺で刃傷事件を起こした内藤和泉守忠勝は、後に江戸城で刃傷事件を起こした赤穂藩主・浅野内匠頭長矩あさの たくみのかみ ながのり)の叔父である。(浅野長矩の生母・波知は内藤忠勝の実姉
    3. 増上寺で内藤らと奉行に選ばれた「土屋相模守政直」の嫡子「土屋主税つちやちから・養子)」は、赤穂浪士の討ち入りの際、吉良上野介の屋敷を隣の自分の屋敷から灯りをつけ煌々と照らし、討ち入りを手助けした人物として有名になる。

なんとなく、ゾクッとくる関連だと思いませんか?因果という言葉が仏法には有りますが、なにかそんなことの証しを見るようですよね。

さて、赤穂事件には、いろいろなかかわりや裏事情があるようですが、それは別の記事にしたいと思いますが、ちょっと面白い因果がもう一つ有ります

大石内蔵助は浅野家から嫁入りしている家で、つまり大石家と浅野家はかなり近い親戚で、さらに大石家は吉良家とも遠い親戚になっています。
大石内蔵助はそのことを知っていたはずですから、愚君でも近い親戚の浅野家と、名君の誉れ高い吉良家との両方の身内の狭間で苦悩したことでしょうね

 

 

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コメント

面白く拝読しました。歴史って知れば知るほど面白いのでしょうねえ。殿中袴って、刃傷沙汰を防ぐためにあんなに引きずっていたんだとか…この程度しか知りません。

投稿: 山口ももり | 2013年12月12日 (木) 10:20

山口ももりさんへ

袴のことを知っているのも、凄いと思いますよ

投稿: 玉井人ひろた | 2013年12月12日 (木) 14:15

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