蟷螂の斧(とうろうのおの)
BSで古い時代劇「徳川家康」を見ていたら、家康に対抗する石田三成を指して「お主など、内府とくらぶれば‘蟷螂の斧’がごときもの」と嘲笑される場面がありました。
「蟷螂の斧」とは「蟷螂が斧を以て隆車に向かう」の言葉を略した言葉ですが、意味は読んで字のごとく’カマキリが小さな鎌を振りかざして、無謀にも人が載る大きな車に向かう姿’を例えて、身の程知らずな者へ対する中傷・蔑視の言い方です。
その石田三成の結果は現代ではよく知られていることですが、現在の日本政府の長である安倍総理大臣が未来において「石田三成」のように蟷螂の斧と言われないことを祈りたいです。
ただ、最近では石田三成は徳川家康によって秘かに擁護され、家康より長生きし2代将軍などを支えたという推測の話も出てきています(天海上人は石田三成だったのではないか?)。
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コメント
石田三成は貧しい身分から苦労して秀吉に抜擢された人物ですよね?最後まで豊臣家に忠誠を誓った生きざまからして秀忠に仕えるとは思えないですよね?義経が海を渡ってジンギスカンになった!とか、この手の伝説は多いですけど、三成の人物を惜しむ民衆の間から生じたものと思われますね?
人望がある政治家は最近はあまり見かけなくなりましたね?
投稿: 空 | 2013年12月31日 02:40
空さんへ
これはある特集番組でやったのですが、天海上人が家康を日光東照宮に祀ったのですが、その東照宮には異様に多くの石田家の証拠が有るということから始まっていたミステリーでした。
それにこの時代の敵味方と言うのは、実態はものすごく曖昧なんですよ
投稿: 玉井人ひろた | 2013年12月31日 08:36
やっぱり、朝鮮出兵の時、現場でたたかっている武将たちと、頭だけで考えて指図する戦争指導者との対立があったと聞いています。常に現場へ出て行かない人間には、現場の苦しみはわからないものですから。
投稿: 山口ももり | 2014年1月 3日 08:53
山口ももりさんへ
秀吉の異父弟である「豊臣秀長(羽柴秀長)」という大名が、豊臣家の実務執行者(戦も含め)で、軍師です。
この人物を検索すると面白いですよ
投稿: 玉井人ひろた | 2014年1月 3日 09:53
秀長は大和郡山の城主でもあり、割と身近な存在です。堺屋太一の小説にもありました。No2の秀長が死んでから秀吉もおかしくなったときいています。
投稿: 山口ももり | 2014年1月 3日 15:20
山口ももりさんへ
記録によれば「秀長」が豊臣家の事実上の№1だったようで、各大名への書状も秀吉の名前だけでは誰も信用しないため、必ず秀長の名が併記され、あわせて「秀長が承認」の内容が明記されていないと(家康などの)各大名は絶対納得しなかったそうです。
投稿: 玉井人ひろた | 2014年1月 3日 18:53