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2013年12月27日 (金)

記憶に残ってる事件ほど誤解が多い?・・・(力道山)

マスメディアでは全く報道されることは無かったので私は知らなかったのですが、今年(平成25年)の4月9日に「村田勝志」という、過去に起きた有名な事件の加害者であった人物が東京都内の病院で息を引き取っていたそうです。享年74歳の生涯でした。

この人物が報道されなかった最大の理由は、指定暴力団住吉会系の幹部だったからです。

「村田勝志」とは昭和の国民のヒーローだったプロレスラーの力道山をナイフで刺し死に至らしめた、あの人物です。
そう言われれば、ある程度の年代の人は「あの力道山を刺したヤクザか」と思い出すことでしょうが、たぶん名前までは思い出せないでしょう。
それほど被害者である力道山の知名度のほうが高過ぎて、加害者の名など人々の記憶から消えてしまったんでしょうね。

あの人物、ヤクザの幹部になって存命していたんですね。

昨年(平成24年12月)は力道山の50回忌でした。つまり、本年(平成25年)は亡くなってからちょうど50年めになります。

あの事件は日本で起きた事件でも本当に記憶に残る事件の一つだと思いますが、日本人でどれだけ正確にその事件内容を覚えているでしょうか?

あらためて事件の真相を読み返したら、私の記憶の曖昧さ、でたらめさ、誤解が多いことに驚きました。

<わたしがもっていた誤解の記憶>

力道山は飲食店にいるときに、たまたま居合わせた自分の名を上げようと狙っていた若いヤクザに襲われ刺された。
刺された力道山は、以外にも深手だったのをプロレスラーという職業柄「大した傷ではない」と我慢して、医者にも行かずそのまま酒を飲み続けた。
その時、直ぐに治療をしていれば助かった程度の傷だったが、治療が遅れたため傷口からの出血が多量だったことなどの影響出て症状が悪化して死んだ。”

たぶんほとんどの方が似たような記憶じゃないでしょうか?上記の記憶がかなり、いや物凄く実際と違っていたのです

<実際の力道山事件の様子>

  • 昭和38年(1963)12月の夜、事件は、赤坂にあったナイトクラブ「ニューラテンクォーター」で起こった
  • 力道山の用心棒(護衛)を務め傍にいた村田勝志と些細なことから口論となり、そして激しい喧嘩になった。
  • 殴り飛ばされ、馬乗りになって襲いかかられた村田は身の危険を感じ、護身用に持っていた登山ナイフで力道山を刺した
    (※、村田はこのすぐ前に外人プロレスラーとトラブルを起し、その時にレスラーのパワーの脅威を体感したので護身用に登山ナイフを所持し力道山の用心棒をしていた
  • その場では応急処置のみで、力道山は帰宅する
  • 翌日、症状が悪化し紹介された病院で治療されたが1週間後の12月15に傷口の悪化が進み死亡。
    尚、現在ではその死因は医療ミスであったと言われている。

<もう一つの事実>

  • 力道山が刺されたあくる日、刺した村田への報復のために質屋で日本刀を購入しようとしたプロレスラー2名が警察に身柄を押さえられた。
    ところが村田は、その前に自分の所属する以外のヤクザ組織から力道山を刺した報復として半殺しにされる制裁を受けていた

私の記憶が大きく違っていたのは、力道山が刺されてから1週間後に亡くなっていたことと、ヤクザが護衛だったことでしょうね。人の記憶とはあてにならないものです

力道山の墓地は東京と、養父母が眠る長崎県に分骨されて建てられているそうですが、村田が多くの組織からの怒りを買ったのをみると、力道山というプロレスラーが日本国民全員にとって、レスラーではなくどれだけ憧れと尊敬を集めていたヒーローだったかがよく解る話だと思います。

 

『力道山』

  • 当時は日本国だった現在の北朝鮮で(両親とも朝鮮人)出生、
    朝鮮人名は「金信洛(キム・シル・ラク)」
  • 各界入してから「力道山」の四股名を授かる
  • 各界引退後に長崎県大村市の百田家の養子となり、「百田光弘(ももたみつひろ)」の日本名に改める
  • プロレスラーになったとき「力道山」の四股名をリングネームに使用し活躍。
    「空手チョップ=相撲の張り手」が有名だったが、アメリカでは反則技としてブーイングを浴びた
  • 自分は日本人であることを誇りに思い。朝鮮半島が独立してもそのことには一切触れなかったし、そのことに触れられことを嫌うとともに、まだ苦しい日本国身の暮らしを思いやって弟子らが過剰な贅沢すると激怒し殴り飛ばした逸話が残る。

<五十回忌>
五十回忌はとは『弔い上げ』とも言われる回忌で、これをもって年忌法要を終了することを言う。
仏教の世界では、どんな人でも五十年(49年)経てば全て浄化され極楽浄土に行くことができると考えられ、先祖の霊として祀られるようになるため、地域によっては五十回忌には熨斗も慶事用(赤熨斗)になることがある。
ただし、浄土真宗の教義では「亡くなるとすべての人は極楽浄土へ行く」とされているので、これには当てはまらない

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コメント

玉井人ひろたさんは、私と同じくらいの歳かと思っているんですが、何でもよくご存じなので実はずっと年上なのか?って思うことがあります。
ま~年を食っているから物知りとは限りませんけどね。

投稿: もうぞう | 2013年12月27日 (金) 19:27

もうぞうさんへ

私の記憶は「リアルタイム」のものではなく、事件後何度か初会されている内容の総合的な記憶ですね。
ですから実際は、もっと後年のことになります

投稿: 玉井人ひろた | 2013年12月28日 (土) 09:25

そんなこともありましたねえ。

投稿: 山口ももり | 2013年12月30日 (月) 07:36

山口ももりさんへ

戦後の20年間はこういう有名人や政治家などの公衆面前殺害事件が多かった気がします

投稿: 玉井人ひろた | 2013年12月30日 (月) 09:10

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