節 会 (せちえ)と先人の学問
お節料理(せちりょうり)というものは一年間の季節の変わり目の『節句』のお祝いなどで食べる特別な料理を指して言ったものです。
昔、朝廷ではその日に『節会(せちえ)』という宴会が開催されるのが習わしだったそうです。
その節句ですが、本来は年間に5回(6回)有り、これを五節句(五節供)と呼び一般にも広まり、この五節句の日には節日(せちにち)として食べ物が供されていたそうです。
- 1月7日⇒人日(じんじつ)の節句
※、1月1日の元日も含まれる - 3月3日⇒上巳(じょうし)の節句
- 5月5日⇒端午(たんご)の節句
- 7月7日⇒七夕(しちせき)の節句
- 9月9日⇒重陽(ちょうよう)の節句
明治になってこの慣習は廃止されたのですが、元日は節日の中でも別 格で、新たな歳(数え年齢)を加える特にめでたい日だったので残り現在に至っているようです。
節句も「端午の節句」は今でも残っていますが、5月5日に食べている「初節句」などとして食べるお祝い料理を「お節料理」と呼ぶ習慣は消えたようです。
今は暦の上でも西暦になったため季節の境目が無くなりましたが、昔の日本人はきっちり「1~3月=春、4~6月=夏、7~9月=秋、10~12月=冬」というように暦の上でも季節の境目を決めていたようです。
その感覚が、情緒的なものではなく精密な天体観測と計算によって導かれていたことも現代の日本人が知っておく、先人の凄さだと思います。
その学問と情緒が綺麗に融合しての日本文化、それを侮る現代日本人を見て「無知な人間」と先人が嘲笑しているのかもしれません。
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コメント
本当にそう思います!
これほど素晴らしい暦が平安の時代に既にあったことも驚異ですが、季節に自然に寄り添った生活姿勢を見習いたいですね?
投稿: 空 | 2014年1月 1日 18:52
さっそくの蘊蓄、勉強になりますね。
日本は欧州に比べて、天文学が栄えなかったと思っていたんですが、そうでも無かったのかな?
投稿: もうぞう | 2014年1月 1日 19:02
和算、そして天文学と呼ばないにしても占星術は(東洋かな?)あった筈です…中国六千年の歴史の影響は受けてますよね?
投稿: 空 | 2014年1月 1日 20:24
空さんへ
算術というのは、今でいう物理学、天文学、数学などの総合学問だったのですが、それは本当に凄いものが有ります。基本は中国から来たんでしょうが、独自に進んだようです。
もうぞうさんへ
1年の計算の出し方、そして天文学、特に月から計算したものは西洋よりかなり進んでいた気がします。
それを明治になって西洋学崇拝主義者が一時期否定したことでおかしくなったんだと思います
投稿: 玉井人ひろた | 2014年1月 1日 21:52