4月から‘新年度’となった理由は?
世の中は、新年だ!初春だ!と大騒ぎの今の時期ですが、行政上も会社などもまだ“新しい年”にはなっていないどころか“年末”にもなっていません。
それは、日本には‘4月1日に始まり翌年の3月31日に終わる’という「年度」という1年の区切り方が存在するからですよね。
ですから、行政機関はもちろん教育現場や民間企業でも予算編成や年間計画などもすべてこの年度に合わせて行われるのが常です。
「こんな半端な区切りになった理由はなんだろう?」と考えたことはないでしょうか。
その理由を調べてみると、なかなか面白いのです。
成立は明治、その要因は諸説あり、さらに行政と学校とでは少し異なりますが主に次のようなものです
<主な理由>
- 明治政府になった当時の日本政府の主要な国税収入源は、現在の固定資産税に当たる「地租(ちそ)」であった。
地租の代金は、その秋に収穫された米が売却されて納税されていたため、政府が来年度予算計画には、その税収額をしっかりと把握してから出ないため2~3ヶ月の計算と検討の日数を考えれば、4月1日を年度始めにすることが役所としては余裕ができて都合がよかったという説。
- 日本が明治に変わったころ、先進国の中心であった‘大英帝国’=イギリスの会計年度の区切りが4月1日~翌年の3月31日であったことから、それを明治政府が見習ったという説。
※現在でもイギリスと日本とは同じ
<学校が4月~翌3月になった理由>
- 明治19年(1886)10月に、高等師範学校(明治に設立された教員養成機関)が
学校の年度を行政に合わせて4月1日から翌年3月31日にすることを決定し、それが各地域に広まったという説。
(※、明治初期には特別決まっておらず、多くの学校が9月入学であった。
これは、名j政府が新しい学問を取り入れるため9月入学の欧米から多くの教師を招いたためそれに合わせたからである。)
- 明治の士官学校等の‘日本帝国軍’関係の学校の入学は4月入学であった
しかし、それは9月入学が多い一般学校の約半年遅い入学であるため、優秀な学生は軍の学校よりも先に一般の学校に流れてしまうことなり、そこで軍が政府に一般の学校も軍関係学校の4月入学に合わせるようを申し入れた結果、現在のように至ったという説。
実際の理由は、それらの理由がすべて混合されて決まったのでしょうが、流通経済の中心に稲作が不可欠だったことは間違いありません。
そして、欧米列強国を目の当たりにしてきたヨーロッパ留学経験者である伊藤博文らの強い思いがあったのでしょう。
さてそうなると「イギリスが4~3月になった理由」を知りたくなるものです。
ヨーロッパでは、1582年(日本の天正9~10年)から暦が「ユリウス暦」から「グレゴリウス暦」に変更されていたんですが、‘プロテスタント’の国であるイギリスは、カトリックのローマ教皇‘グレゴリウス’が提唱したことに不快感や反発が強く、イギリスでは直ぐに変更されなかった。
しかし、周りの国々ではグレゴリウス暦に変わっていたこともあり、已む無くイギリス国教会も1752年にグレゴリウス暦に変更することを決めた。
ところが、年初日を変えるに当たって困ったことが発生、イギリスでは商売支払いは年末にまとめて支払うケースが多いのであるが、その支払日が急に3ヶ月も変わって1月1日になってしまった。
そこで、イギリスで中世以来の伝統であった「1年後との支払い=年明けの6日後まで猶予する」という慣習を利用して、キリストの祝日の3月25日の6日後の3月31日を締め切りとし、翌日の4月1日を会計年の年初日にすれば区切りも良いということになり現在の年度製になった。
偶然でしょうが、日本もイギリスも「収支計算の都合」ということで、年度の区切りが決まったみたいですね。
近年大学では9月入学に切り替えるところが出てきたようですが、そうなれば支払さえなんでもなければ年度制は、有っても無くてもいいようですね。
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コメント
新入学というか、学年の区切りは、4月2日から翌年の4月1日生まれまでとの、規定があるとか?
本当ですか?
投稿: もうぞう | 2014年1月 8日 19:41
もうぞうさんへ
確かにそれは有りますし、私の同級生にもずれている人が存在します。
それは入学の規定じゃなく「年齢計算規定」のようです。
年齢規定は誕生した日を最初の1日と数えるため、4月1日生まれの人は翌年の実際の誕生日の1日前=3月31日に年齢が1歳加算されたと数えるからのようです。
ちなみにわが同級生には4月2日以降なのに早生まれになっている人がいますので、猶予もあるようです。
投稿: 玉井人ひろた | 2014年1月 8日 22:07