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2014年7月23日

奥州の悲劇伝説・・・「稚児舞台」と「稚児石」

なにを隠そう、福島県はカヌー競技の強豪県なのです。特に、二本松市にある県立安達高校(あだちこうこう)などは全国大会で数々の輝かしい成績を収めています。

これは平成7年(1995)福島県で開催された第50回国民体育大会で現在は二本松市と併合しました旧東和町(とうわまち)内を流れる阿武隈川を利用してカヌー競技場を作ったことが元になっています。
http://www.nihonmatsu-kanko.jp/shimayama.html

作られたのはカヌー競技でも、岩場の急流を渡るかなり危険な種目で「スラローム・ワイルドウォーター競技」というものです。
実は、この種目は本当に危険で、ここで練習中に選手が亡くなったという痛ましい事故も起こっています。

ここは「島山カヌーレーシングコース」という名称なんですが、ここは京の都から‘奥州征伐’という名目で「奥州侵略」にやってきた源家の軍勢と、この地を‘侵略’から守ろうとする地元豪族軍との壮絶な戦があり、ある二人の子女の悲劇の伝説がある名所でもあります。

暑い今の季節、こんな伝説を頭に置いてちょっと涼みに行くのも一興でしょう。涼しい場所なんです。
わたしはずいぶんと、行っていませんが変わったのかな?

<観光協会ホームページよりコピー>

阿武隈川の急流に囲まれ、西側の高台から見ると島のようにも見える島山。島山の下流に奇岩怪石が千変万化の景観を織り成す渓谷があり、稚児舞台と呼ばれる。 

稚児舞台は、源義家に稚児の舞を見せようとした場所とされ、悲話が残る。 

奥州征伐に来た源義家の大軍が阿武隈川を挟んで奥州の豪族安倍貞任の軍勢と数10日も対峙し、弓矢の合戦を繰り返していた。 

天喜3年(1055)春、双方の兵が疲れ果てたある日、東岸の源氏勢が「奥州の豪族といえども、舞を舞う子女は一人もおるまい」と安倍勢を中傷しはやし立てた。 

 安倍貞任は「それまで言われては一門の恥」と激怒し、2人の美女を稚児姿に仕立て、大きな岩を舞台に舞を舞わせた。 

2人は花に遊ぶチョウのように優雅に舞ったという。 

このときは、川の瀬も群れ飛ぶ鳥の声も鳴りを潜め、両岸の兵は天女のように舞い踊る娘にうっとり見とれ、喝采が沸き起こった。 

ところが、舞い終わった2人の娘は「敵の前に生き恥をさらした」と抱き合い淵に身を投じたという。 

 また、稚児石についても伝説がある。 

木幡山で戦勝を得た源義家が正法壇の法印に凱旋(がいせん)の迎えを受けた際、義家は岩上で舞う童児の姿を間近に見ようと川を渡ったところ、馬もろともに落下してしまった。 

馬は死んだが、義家はけがひとつなかった。 

落馬跡とその血痕が石に残り「血駒石」と言われたが、いつか「稚児石」と呼称されるようになったという。

詳しくは↓
http://www.nihonmatsu-kanko.jp/chigobutai.html

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コメント

ボートには乗ったことがあるのですが、カヌーは未体験です。海育ちなのに小型の船には縁がありません。カヌーは経験したいものです。

投稿: 吉田かっちゃん | 2014年7月24日 11:14

吉田かっちゃんへ

カヌーはちょっと危険じゃないですか

投稿: 玉井人ひろた | 2014年7月24日 19:24

カヌーよりボートの方が、漕ぎやすいと思うのですが、最近はカヌーが人気ですね。

投稿: もうぞう | 2014年7月28日 18:09

もうぞうさんへ

でも、カヌーはど素人には無理ですよね

投稿: 玉井人ひろた | 2014年7月28日 19:39

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