うさぎ島
広島と言えば真っ先にイメージされるのは「原爆」でしょう。
広島が原爆投下の標的地になった一番の理由は、呉市にあった国内最大級の規模を誇った海軍造船所が有ったことを筆頭に、旧日本軍の重要な施設が集まっていたことに有ります。
広島県竹原市沖の周囲4.3キロほどの小さな島「大久野島(おおくのしま)」は地図上から存在を抹消し、大正14年(1929)~昭和20年(1945)まで秘密研究が行われていた島でした。
行われていた研究は、現在では核兵器と並んでその残虐性から、使用が禁止されている化学兵器、つまり毒ガス研究と製造をする工場などが有ったところです。
http://www7.ocn.ne.jp/~dgjrkma/new_page_15.htm
戦後はアメリカ軍などによって施設は解体され、その後、昭38年(1963)に国民休暇村がオ-プン、そして「大久野島毒ガス資料館」等の観光施設ができあがり観光施設となり、さらに島外の小学校で飼育されていた8羽のウサギが昭和46年(1971)に島に放されて野生化し、繁殖し、それは平成25年(2013)に再度調査したところ700羽にまで増えているそうです。
現在は年間約10万人の観光客が訪れる「ウサギの楽園」。(ウサギの保護のため、大久野島には補助犬以外の犬の連れ込みは禁止されている)、「うさぎ島」と呼ばれるようになったようです。http://www.qkamura.or.jp/ohkuno/
これに似た話が原発事故を起こしたチェルノブイリ原発、そこも今は動植物物の天国となり繁殖し、さらに事故原発を見る観光客が増えている事実があります。
『俗説』
この島にウサギが繁殖した理由について、次のような説があります。
- かつてこの島の毒ガス研究施設や工場での実験用や毒ガス検知のために飼われていた多数のウサギが、終戦後放棄された施設とともにそのまま放置されたり、施設から逃げ出したのが、温暖な気候と天敵がいないという好条件によって繁殖した
この説は、私も何かで聞いた気がしますが、それは俗説だということです。
その俗説であるという証言があります。
その1>元毒ガス資料館館長、村上初一の証言(毒ガス工場で働いていた)
- 毒ガス実験にウサギが使用されていたのは事実だが終戦後にすべて処分されており、現在いるウサギは休暇村建設完成後に本土から導入されたものである。
その2>広島大学の松本邦夫教授らの調査
- 毒ガス弾・原料・設備の処分が終了し島が日本に返還されたさい、昭和27年(1952)に広島大学の松本邦夫教授が大久野島の生物生態を調査を行っているが、島全体に殺菌、消毒のため厚さ3cmのカルキがまかれており、植物は枯れ海岸に貝類も生息していない有様で、到底ウサギが生存できる状況ではなかった。
この証言から判るように、研究していたものが毒ガスですから徹底的に処理がなされたはずで、動物などは生存不可能状態になっていたことは間違いないですね。
ただその後15年~20年後にはウサギも住める環境になったという事実が凄いです。経過はどうだったのか知りませんが、自然とは強いものであることは間違いない事実だと思いしらされました。
福島の原発事故地の双葉郡もウサギ島のようにいつかはなるのかと、ちょっとだけ想像させられてしまいました。
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コメント
確かに人間の介入が減った為に自然度は高くなるでしょうね?是非はともかくとして(∋_∈)
投稿: 空 | 2014年7月 5日 (土曜日) 20:50
空さんへ
野生の動植物は強いです
投稿: 玉井人ひろた | 2014年7月 5日 (土曜日) 21:01
こんばんわ。
・「文章」を読んで。
何だか、背筋が「ゾーッ」と来る話ですね。
投稿: H.K | 2014年7月 5日 (土曜日) 21:48
たしか・・・・被災地でイノブタが大繁殖って聞いたことがあります。そのあとはどうなっているのでしょう。私たち、相棒と私が買った丹波のお山、お隣の山羊の放し飼いで庭木はボンボロ・・・山羊が可愛いなんて思えません。うさぎも・・・・ともかく自然との共生はむつかしいようです。
投稿: 山口ももり | 2014年7月 6日 (日曜日) 08:30
H.Kさんへ
ゾ~っとしましたか?

山口ももりさんへ
本当に、難しいです
投稿: 玉井人ひろた | 2014年7月 6日 (日曜日) 19:19