銀ブラ? 銀ぶら?
現在放送中のNHK朝のテレビ小説「花子とアン」、現在は大正時代が舞台になっているのですが、そこで今週はヒロインが郷土から初めて東京に出てきた同級生2人に向かって「銀ぶら」の意味を問う場面がありました。
同級生は
「『銀ぶら」は東京の銀座通りをぶらぶら(散策)すること・ずら」と、答えます。
それに対し、ヒロインが表情を変えてこう言います。
ヒロインと妹
「違います!『銀ブラ」とは、銀座でブラジルコーヒーを飲むことです」
視ていた人は、私と同じく一様に「えっ!そうなの?」と思ったはずです。
この「銀ブラ・銀ぶら」の語源には、銀座に合った日本初の喫茶店「カフェーパウリスタ」、そして(現港区)三田にある慶応義塾に通う「学生達」が絡みます。
銀ぶらについての記述著書を紹介。
- 「銀ブラ」は大正2年に慶應義塾の学生たち「小泉信三、久保田万太郎、佐藤春夫、堀口大学、水上滝太郎、小島政二郎」が作った新語である
- 作家の「小島政二郎氏」の著書で昭和29年(1954)に出版された『甘肌』には
「銀ブラ」という造語は(小島の)同級生である成毛五十六という人物によって命名されたとある
- 画家の「水島 爾保布(みずしまにおう)氏」の著書で大正13年(1924)に出版された『新 東京繁盛記』には
「銀ブラ」という言葉は其最初、三田の学生の間で唱えられた。(『三田の学生』とは慶応義塾学生のこと)
- 作家で詩人の「佐藤春夫」の著書で昭和38年(1963)に出版された『詩文半世紀』には
慶應で相手がつかまると別に相談するまでもなく、足は自然と先ず一斉に新橋の方面に向かい、駅の待合室で一休みしつつ旅客たちを眺めたのち、「パウリスタ」に行ってコーヒー一杯にドーナツでいつまでも雑誌に時をうつしていると、学校の仲間が追々とふえて来る。みな正規の授業をすませた上級生たちである。
芝公園を出て新橋駅待合室経由パウリスタというのが我々の(銀ブラ)定期行路となっていた。 - 評論家の「安藤 更正」の著書で昭和6年(1931)に出版された『銀座細見』には
銀座を特別な目的なしに、銀座という街の雰囲気を享楽するために散歩することを「銀ブラ」というようになったのは大正4年(1915)頃からで虎の門の「虎狩り」などと一緒に、都会生活に対して、特別警技な才能を持っている慶應義塾の学生たちから生れてきた言葉だ。
これらの記述から判断すれば、この言葉を作ったのは慶応の学生であり、その学生がなんとなく学校から銀座あたりをぶらぶらと歩き、最終的には必ずカフェパウリスタで手ごろな値段のブラジルコーヒーを飲むことになる状態、つまり‘銀座をぶらぶらする’と’銀座のカフェでブラジルコーヒーを飲む’とを語呂合わせしてできた造語のように感じられますね。
それが、片方のカフェが無くなったことや敵国語禁止が相まって「銀ブラ=銀座ぶらぶら」のほうが強くなったとうのが経過のようですね。
>「カフェパウリスタ」とは、「カフェ」がフランス語で「喫茶店、コーヒー店」を意味し、「パウリスタ」がブラジルの言葉で「サンパウロ」を指す言葉なので、「喫茶店パウリスタ」という意味になるようだ。
創業は明治42年(1909)、ブラジル移民の祖と言われる「水野龍(みずのりょう)氏」によって、ブラジル政府や日本政府の協力を得て創設された日本初の喫茶店である。
大正2年(1913)に店が改築されましたが、その建物三階建ての白亜な建物、正面にはブラジルの国旗が翻り、夜ともなれば煌々と輝くイルミネーションというまるでブラジルの大使館のようなモダンな外観。
中に入ると北欧風のマントルピースのある広間には大理石のテーブルにロココ調の椅子が並び、海軍の下士官風の白い制服を着た美少年の給仕が、銀の盆に載せたコーヒーをうやうやしく運んでくるという現在でも驚く豪華さであった。
そしてなにより、ブラジル産の本格的なコーヒーであるにもかかわらず、1杯5銭という破格に安値だったことで、大繁盛となったそうで社交の場所としても発展していき、全国や海外の中国上海まで店舗が出店され、ピーク時には26店舗までに増えた。
この破格の単価はブラジル政府が創業者の水野氏への移民事業への敬意として大正11年までブラジルコーヒーを無償で提供してもらっていたからできたことである。
昭和16年、日本が太平洋戦争突入したことにより昭和17年(1942)に「日東珈琲」に改名するも、ほぼ全店が閉店を余儀なくされる。
現在、銀座八丁目の中央通り沿いにある『銀座カフェパウリスタ』は昭和48年(1970)に、その日東珈琲前取締役社長の「長谷川泰三氏」によって営業が再開された店舗である。『銀座カフェーパウリスタ』
https://www.paulista.co.jp/
長谷川泰三氏は『日本で最初の喫茶店「ブラジル移民の父」がはじめた—カフェーパウリスタ物語』(文園社)という著書を平成20年(2008)に出版し、大正時代には菊池寛、正宗白鳥、芥川龍之介、久保田万太郎、広津和郎、佐藤春夫、獅子文六といった文学者が多く出入りし、カフェーパウリスタの歴史的価値を訴えている。(戦後ではジョン・レノン、オノ・ヨーコ夫妻が何度も訪れた)
※大正時代の5銭とは、現代のいくらか?
これが米1俵(66Kg)の相場は7円~15円、一般労働者の月収は23円(主に東京)、大根1本は8銭、など今と基準が合いません
さらに、東京とその他の地方では桁違いに価値観が違う時代なので一概には言えないですが、大体300円~500円の間という曖昧な数値になり、東京の人には5銭は安いが田舎者には高額だったはずです。
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コメント
パウリスタはサンパウロだと記されていますが、私はてっきりバリスタかと思いましたよ。
投稿: もうぞう | 2014年7月10日 05:31
もうぞうさんへ
最初、私もそう思いましたが、水野氏とブラジルサンパウロの関係を知れば、当然だったと思いました
投稿: 玉井人ひろた | 2014年7月10日 08:57