二十四の瞳』と『ゴジラ
きょうの日付の出来事を見ていましたら、いまからちょうど60年前の昭和29年(1954)9月14日に木下惠介監督・脚本、主演は高峰秀子さんという映画が封切られた日でした。
その映画が松竹大製作の『二十四の瞳』(にじゅうしの ひとみ)です。
この後もテレビ(香川京子さん主演など)や映画(田中裕子さん主演など)で何度も再製作されることになる、名作ですね。
昭和初期、田舎に赴任した大石先生への女であるが故の偏見の目、その大人たちの偏見にもかかわらず、純真に大石先生を慕う子供たちの姿は感動したものです。
そしてこの時代背景になったころの日本は第二次世界大戦を突き進んでいくころで、女性教師と生徒たちがその戦争によって負うことになる苦難と悲劇、戦争の悲壮さとそこに生きた庶民を描いた先駆けとなった作品でしょう。
この後に作られた太平洋戦争がらみの作品には、今でもどことなく「二十四の瞳」に影響された場面が入っている気がするのは、気のせいでしょうか?
そして同じ年の11月には福島県須賀川市出身の円谷監督製作で、原爆実験や放射能への痛烈な抗議や危険性が込められた「ゴジラ」が封切られました。
昭和29年に封切られたこの名作映画に込められた「戦争反対」「核反対」という監督の思い、今現在の社会にどのくらい反映されているのでしょうか?
※、日本における原子力発電の始まりは、昭和29年(1954)3月に当時改進党に所属していた⇓
中曽根康弘
稲葉 修
齋藤憲三
川崎秀二
↑により『原子力研究開発予算』というものが国会に提出されたことだとされている。この時に提出された予算『2億3500万円』は、なんの合理的かつ計算された裏付けも無く‘ウラン235’にちなんだ語呂合わせの数値であった。
そして翌年の昭和30年にいわば「原発法」が可決施行される。
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コメント
福島県出身の円谷監督が原爆実験の危険性、
放射能への抗議を告発する初めての
映画を手掛けたというのも、なにか
因縁ですね。
その福島が世界の「フクシマ」になるとは
監督も想像したでしょうか?
歴史から学ぼうとしないやからが跋扈する
世の中をなんとかしたい。
投稿: あね | 2014年9月14日 (日) 21:50
こんばんわ。
映画「二十四の瞳」は、自分は、余り見たい事が無いですね。
でも、この映画を今の若い世代に見せたら良いですね。
投稿: H.K | 2014年9月14日 (日) 22:20
あねさんへ
まさに因縁というか、日本で原発研究予算が決められたのも昭和29年(3月)です。

H.Kさんへ
視てないですか?それは残念です
投稿: 玉井人ひろた | 2014年9月14日 (日) 22:28
「二十四の瞳」に込められた、与謝野晶子の「君死に賜うことなかれ…」と同じ思い・精神が決して曲解されることなく、「ゴジラ」の作者が本当に訴えたかったことは何なのかをスルーしないで、きちんと受け止めて欲しいし、自分もそうしなければ!と思います。
投稿: 空 | 2014年9月15日 (月) 03:24
空さんへ
円谷英二さんのゴジラには核実験反対の強いメッセージが込められましたが、2作3作と進むうちそのメッセージは薄れていきました。
それがまた、強くこめられた「ゴジラ」は、アメリカで製作されたリメーク版だったことは皮肉なことです。
投稿: 玉井人ひろた | 2014年9月15日 (月) 08:24
ゴジラといえば第五福竜丸を思い出します。東京・夢の島に現物展示館があるのですが、オリンピックに向けて交通網整備だとか観客サービスの新規格がマスコミで目白押し。
可愛そうに「第五福竜丸」は完全に忘れられているようです。
投稿: ましま | 2014年9月15日 (月) 09:14
ましまさんへ
たしかゴジラは「第五福竜丸」の事件が発端になっているはずです
投稿: 玉井人ひろた | 2014年9月15日 (月) 11:38