戦争の遺物・・・と言うだけでは済まされない
9月5日(金)の地元紙朝刊に小さいですがちょっとギョッとする、こんな記事が載りました。
福島県警本部組織犯罪対策課は9月5日、福島市の民家と、白河市の民家から軍用拳銃を各1丁づつ(計2丁)と、それぞれの拳銃用の実包(火薬が入っていない実弾)合わせて60個を回収したと発表した。
と、いうような記事で小見出しには「拳銃2丁押収」の文字があったので、一瞬、暴力団関係の記事かと思いましたが、その内容をみてそうではないことが判りました。
↑福島市の民家から見つかったのは日本製の自動装填(そうてん)式で「九四式」と呼ばれる拳銃1丁と、その実包(火薬が入っていない実弾)10個。8月ごろ家人の60代男性が押し入れを整理中に発見し、福島署に届け出たものです。
そして、白河市の民家から見つかったのはアメリカ製の回転弾倉式拳銃1丁で、実包(火薬が入っていない実弾)50個。7月中旬ごろに当家の80代男性が土蔵で見つけ白河署に届けたものです。
拳銃の持ち主は、いずれも発見者の父親、そしてすでに他界されているといことでした。
つまり、押収したというより、両家の家人から各地区の警察署に届けられたものが、県警に渡ったというもののようです。
これも押収と言うんですかね?
いずれにしても、それらは太平洋戦争(大東亜戦争)のころの拳銃で、それを裏付けるように両家の父親も太平洋戦争に従軍していたということでした。
この当時、拳銃を持っていたのは主に軍人、それも将校クラスしか持てないもので、さらに外国製のもの、日本製のも高級拳銃ですから、両家の父親はかなり上位の将校だったことが覗えます。
(※将校(しょうこう)とは、広義には階級が少尉以上(尉官以上)の軍人を意味する。軍の階級は上位から将官⇒佐官⇒尉官⇒准士官⇒下士官⇒兵となっている。)
将校だったとすれば、戦犯の対象になる可能性もあったはずで、自決のために所持していた可能性も否めないですが、たんに記念品だったのかもしれませんし、故人の真意は不明ですね。
このことを受、<福島県警本部組織犯罪対策課> は「戦地から持ち帰った拳銃が各地にまだ存在する可能性があるり、発見したら最寄りの警察署に通報してほしい」と呼び掛けのコメントを出しました。殺傷力のある実銃ですから、それは当然でしょうね
自衛隊は太平洋戦争中に投下されたり保管されていた不発弾処理を行なっていることはよく知られていますが、どのくらいの数を処理しているかはほとんど知られていないと思います。
全国ニュースになる数と言うのは、年間に1~2件ですから、国民もそのくらいしかないと思っているのが一般的だと思います。
<自衛隊が処理した日本国内の不発弾件数>
- 昭和33年(1958)~平成24年(2013)度までに日本国内で処理された
件数⇒12万9885件(5999.8t)。 - 近年(平成20年~平成24年)の5年間に処理した、
年間平均件数⇒約1500件以上 - そしてその約50%は沖縄県に集中している
実に驚愕の件数ですが、それでも近年年間件数がわずかに減ってきている傾向にあるというのです。
「これで・・・減っているの?」と思いませんか。
沖縄県では不発弾が誤って爆発して亡くなった場合は、その方に対し1000万円を支払うことが定められている(負傷の場合もその度合いに合わせて支払われる)んだそうです。
それだけ危険が今でも有るということでしょうし、不発弾処理件数も年間平均約700件以上ですから、それはうなずけます。
ベトナムでは今でも機雷による怪我が絶えないし、終戦から69年はまだまだ近い過去なのです。
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コメント
いかに戦争が愚かしく非日常のものかと思い知らされますね?
投稿: 空 | 2014年9月 9日 20:31
空さんへ
原発の廃炉に係る推定年数より、戦後処理の実年数の長さはほんとうに重く見るべきです
投稿: 玉井人ひろた | 2014年9月 9日 22:41
たしかに、原発関連もそうですが、戦争もいつまでも引きずってますね。
愚かな戦争、しない方が一番ですが、なぜかなくなりませんね。
投稿: もうぞう | 2014年9月10日 07:21
もうぞうさんへ
人からは切り離せない物なのかもしれません
投稿: 玉井人ひろた | 2014年9月10日 07:50
へ・え・・・・そんなことはあるでしょうねえ。私の子供の頃、タンスの奥に大小の刀がありました。母が厳しくあわてて・・・次にはなくなっていました。
投稿: 山口ももり | 2014年9月10日 09:19
山口ももりさんへ
刀や将校の軍刀は「魂」として所持していたはずですから、深い思い入れが有っての保有だった可能性は高いです。
投稿: 玉井人ひろた | 2014年9月10日 11:52