あの人が他界
1984年ロサンゼルスオリンピック、1988年ソウルオリンピックの柔道95キロ超級で連続金メダルに輝き、現在は全日本柔道連盟の強化委員長である、あの斉藤仁(さいとう・ひとし)氏がきょう20日午前2時56分に大阪府東大阪市の東大阪市立総合病院で亡くなったというニュースには、驚かされました。
斉藤氏は、青森県出身のまだ54歳という若さでの死、死因は「肝内胆管がん」だったそうですが、現役時代の活躍をリアルタイムで見ていた私には、ただただ驚きでした。
きょうは、朝刊で元プロ野球選手でドラゴンズの主砲でホームラン王にもなったことが有る台湾出身の大豊泰昭氏が骨髄性白血病のため51歳の若さで亡くなった記事でも驚いていた朝でした。
あとで知ったのですが、大豊氏は現役引退後に壮絶な人生を送っていたんですね。
- 1989年(平成元年)のドラフト1位で中日ドラゴンズに入団
- 1990年、女優の古荘弘子さんと結婚、娘二人に恵まれる
- 1992年、張本氏のアドバイスで同じ台湾国籍で尊敬していた王貞治氏と同じ一本足打法に変える
- 1994年、一本足打法に変え本塁打王と打点王の2冠に輝く。
- 2002年(平成14年)に38歳で現役を引退。
- 引退後に名古屋で中華料理店を開くも、その数年後に妻の弘子さんが心筋梗塞のため45歳の若さで亡る。
- 激しい悲しみの名k大豊氏は男手一つで2人の娘のために仕事から家事まで全てをこなす。
- 妻の死から4年後、今度は大豊氏自身が急性骨髄性白血病を発症。
- 長い治療になったが、骨髄移植によって病は治ったが、その間仕事ができず莫大な借金を抱えてしまう。
- その後、岐阜県海津市で中華料理店の経営者として店に立ち続けていた。
大豊氏は亡くなるまで、「つらすぎて死んだ方がまだ楽と思うこともあるが、同じ病気と闘う患者の希望になりたい」と、急性骨髄性白血病を患いながら中華料理店を経営していたそうです。
二人とも“私より若い”ということが、私にとっては一番の驚きでした。
ニュースに出ていた二人は痩せていました。特に大豊氏の激やせは別人のようでした。これもまた驚きでした。今年は若い人が亡くなるのでしょうか?
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コメント
飽食世代とも言える年代は、今より若死にではないか?と、指摘する人は多いようです。
結論は、近いうちに出ることでしょう。
投稿: もうぞう | 2015年1月20日 (火曜日) 19:53
もうぞうさんへ
またある人の話しだと、50~60代の人が幼いころは、日本全体が核実験のため現在の1000~10000倍も放射能が高かったとも言っている人がいます
投稿: 玉井人ひろた | 2015年1月20日 (火曜日) 20:39