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2015年2月27日

艶ばなし

きょうのテレビの時代劇で、とても艶っぽいことばを聞きました。

忘れねばこそ、思い出さず候

という、女性が別れ際に恋しい人へ送る言葉なんですが、その意味が深い。

それは、「私はあなたを思い出しません。なぜならあなたのことを絶対忘れないから」と、いう意味になると、その時代劇の中では言っていました。

‘思い出す’という行為は、一度忘れたからこその行為と言う考えで、1秒たりとも忘れないことは思い出す必要が無いという考え方は、男女の仲だけのことだけでない気がしたんです。

私が見送った亡き、父、義父、祖父、親友・・・・等々の多くの人々への思いに重なったので、よけいに良い言葉だと思ってしまったのでした

ただ・・・

この感動をもって了としないのが、わたしの悪い癖で、元の歌を知りたくなって調べてしまいました。(

駒形堂が橋のたもとにあったことから『駒形橋(こまがたばし)』とよばれるようになった橋が東京の隅田川に架かっています。

昔、江戸っ子は「がた」と濁らずに「コマカタ」と発音したというその場所は、江戸時代には橋が無く「駒形の渡し」があったそうで、橋は昭和2年(1927)に架けられたようです。

現在、その橋の名称になった駒形堂は「駒形公園」として整備され、そこ先に書いた「歌」の基になった「句碑」が建てられているそうです。

「 ゆうべは波の上の御帰らせ、いかが候
御館の御首尾つつがなくおわしまし候や
御見のまま忘れねばこそ、思い出さず候 かしこ
君はいま 駒形あたり ほととぎす

上記が、その句碑にかかれたものです。

これは、吉原トップの花魁(おいらん)で2代目高尾太夫(たかお たゆうが、客である陸奥の仙台藩3代藩主伊達綱宗(だてつなむね伊達家19代当主)、を思って書いた、いわば恋文です。

この伊達綱宗と言う人物は、若くして仙台藩主になったためか、酒色に溺れ藩政を疎かにしたため、暗愚な藩主として21歳の若さで隠居させられた人物だそうです。

ただ、その愚行は伊達綱宗が後西天皇と従兄弟関係(双方の母同士が姉妹)になるということで、幕府から警戒されるのを回避する作戦だったという説も有ります。

隠居後は、江戸に住み書画などにいそしむ風流人としてひっそりと暮らしたとされますが、花魁に遭ったのはそのころなのか?どうかは不明です。

花魁とは、高い教養も求められたといわれ、その文才も優れていたことが、この句から垣間見られる気がしますね。

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コメント

確か、先日終わった「風越峠」ではなかったですか?私も聞き覚えがあります♪「宮本武蔵」の中に出てくる花魁が、初めて知った花魁でしたが、世阿弥光悦と同席して、刀を見てもびくともしない肝の座った教養豊かな彼女の姿に、物語ながら惚れ惚れしたものです(*^_^*)♪
人間の本質と言うものを学んだ気がした忘れられないカルチャーショックでもありました…高一の試験前に読んだ吉川英治の作品でした(^_^)v

投稿: | 2015年2月27日 20:16

なる程、この歌を理解するには教養が必要ですね。

我が地方には室町時代の遊郭があったとか、昔の遊女は礼儀作法&舞&歌とかの素養が必須。

今の快楽だけを提供する仕事?とは全く違いますね。

投稿: JACKS | 2015年2月28日 10:54

空さんへ

全く別な、新しい時代劇でしたね。


JACKSさんへ

昔も、快楽だけの方が圧倒的に多かったようですよ。

投稿: 玉井人ひろた | 2015年2月28日 11:51

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