八百屋お七の日
雨が無く、乾燥した毎日が続いています。ダストアレルギーの私は、目のかゆみとのどのいがらっぽさに悩まされています。
風の強い日は特に症状が出て困りものです。
それは、今頃の季節の特徴でもありますが、それに伴って火災も多くなるのも今頃です。
天和三年(1683)の3月29日、八百屋の娘・お七が、放火の罪で3日間の市中引回しの上、火あぶりの極刑に処せられました。
その日に合わせ、本日は「八百屋お七の日」という記念日になっているそうです。
江戸の大火で避難した寺で出会った寺小姓・生田庄之介のことが忘れられず、火事になればまた会えると考えて3月2日の夜、町に放火した話は有名です。
このときお七が放火した火はすぐに消しとめられ、すぐに捕えられたので小火で済んだのですが、お芝居では大火災となったと脚色されたことや、「火あぶり」という処刑から、多くの人がお七は「大火災を起こした人」と誤解されていることが多い話でもあります。
江戸時代の法では、火災の大小にかかわらず放火の罪は火あぶりの極刑に処せられていたためそうなったのですが・・・
役所も血も涙も無いわけでは無く、江戸時代と言うのは女性に対しての刑罰は軽くなるのが常識です。
ですから、放火の罪でも17歳以下なら火あぶりにならないため、奉行所はお七に対し「おぬしは17歳だろう」と何度も極刑を免れるように計らったそうですが、お七は頑として「私は18歳でございます」と答え極刑となった逸話は、かえってお七のいじらしさ、幼さを感じさせる話となっています。
この‘お七の干支’が『丙午(ひのえうま)』であったため、干支が丙午の年に女子が生まれることを忌み嫌う慣習や迷信は、長く日本国内では信じられることになりました。
今はそんなことは無くなりました・・・よね(?)
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コメント
こんばんわ。
・「文章」を読んで。
これは、初めて知りました。
投稿: H.K | 2015年3月29日 (日曜日) 21:13
H.Kさんへ
そうですか。
投稿: 玉井人ひろた | 2015年3月30日 (月曜日) 08:48
丙午のいいつたえとはこんなところから来ていたのですかぁ。
庶民信仰というのは、こんなふとしたきっかけと
いうのもあるんですねぇ
それにしても、18歳を17歳、と正直一途なお七、
真面目だけがとりえだったのか、 世間知らずだったのか?
教育の失敗か?
いつの世も人間を育てる、というのはむずかしいもの。
副操縦士の家族もどんなに悲痛な思いをしているか・・・。
投稿: あね | 2015年3月30日 (月曜日) 08:59
あねさんへ
お七は、法定年齢のことを知らなかったというのが定説のようですが、致し方ないでしょうね。
副操縦士の家族、どうしているんでしょうね?
投稿: 玉井人ひろた | 2015年3月30日 (月曜日) 18:20
丙午の翌年1月から3月生まれなら同じ学年になれます。
進学にも就職にも有利だと人気があったとか?
今50歳くらいの人たちかな?
投稿: もうぞう | 2015年3月30日 (月曜日) 18:21
もうぞうさんへ
最も近い丙午の干支の年は昭和41年(1966)ですから、翌年の昭和42年(1967)となりますので、
今年48歳の人になるようです。
投稿: 玉井人ひろた | 2015年3月30日 (月曜日) 18:30