昭和20年8月10日に発せられた‘短波’
8月6日広島、8月9日長崎、と相次いで原爆が投下された日本政府は、緊急の御前会議が開かれ、「ポツダム宣言受諾」=「降伏」を決断したのでした、3発目の原爆投下の可能性を考えた日本の首脳陣は、最も早く「降伏」の意思を伝えようと考えたのです。
そこで、日本政府は海外放送を行っていた【ラジオ東京】(現在のNHK)の短波放送を使って直接欧米の連合軍に中立国スイスを通じて降伏を伝えることを決定し、8月10日にそれは実行されました。
当時の「ラジオ東京」で働いていた「住友幸一さん」は、8月10日の夜のことをよく覚えているといいいます。
外務省の担当者から渡された8月10日の政府声明。その内容は↓
「日本政府は天皇の大権が侵されないという了解の下、降伏を受け入れる」
そして、もう一つ
「アメリカ軍が行った原子爆弾投下による一般人への爆撃は、明らかに戦時国際法に違反した、非人道的な事であり、日本政府として強く抗議する」
その内容(日本の降伏)を知ったとき、住友さんは背筋が凍る思いがしたそうです。
この日本政府からの8月10日の発表を受けて、直ちにアメリカの放送局VOA(ボイス・オブ・アメリカ)などが「日本の降伏」を伝える日本語短波放送を世界に向けて開始したそうです。
しかし・・・
短波ラジオを所持することを禁止されていた日本国民、そして日本軍は、その事実を知る術がなかったのです。
そうした状況下、日本の首脳陣は再度御前会議を開催、8月14日に行われた御前会議で、昭和天皇はご発言いたします
「(朕が)マイクの前に立つ」
この一言によって、軍部から妨害が考えられる中、玉音の録音と放送の実施が実現したそうです。
実は、この天皇陛下の発言は広島に原爆が投下された後の8月8日、当時の情報局総裁だった「下村 宏氏」がたった1人で天皇に拝謁(はいえつ)し、玉音放送の進言をしたことが発端だったそうです。
- 8月14日玉音放送が録音される
- 同日、収録に立ち会った「下村氏」とNHKの録音技師の「玉虫一雄氏」が録音終了後の帰宅途中に坂下門で玉音放送に反対する近衛兵たちに捕えられ監禁される
- 同日、玉音が録音されたレコードは、宮内省の侍従だった徳川 義寛氏(1985年(昭和60年)侍従長に就任)の機転によって同氏の弁当箱の中に隠され奪われずに済む
- 8月15日、玉音放送は行われた
玉音放送の流れこのようなものですが、今考えるとやはり10日の降伏放送を知らなかったことが、犠牲者の拡大につながった要因の一つであることは間違いなく、今となっては口惜しい限りです。
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コメント
それと8月15日が終戦だとしている日本と9月2日や3日とする外国との「差」
気になりますね~
投稿: もうぞう | 2015年8月11日 (火曜日) 19:54