本能寺で死ぬ筈だった人物
歴史上の出来事で、とてもよく知られていることに織田信長が死んだ「本能寺の変」があります。
明智光秀の(謎の)謀反によることで良く知られていますが、今その明智光秀の子孫と言う方が書いた本が話題だそうで、その本によれば後世に伝えられていることは羽柴秀吉(豊臣秀吉」が、自分を正当美化するためにねつ造したものなのだというのです。
その本によれば、本能寺での明智光秀軍による暗殺襲撃事件は織田信長が計画した綿密な謀だったというのです。
そして、明智光秀が信長の命令によって本能寺で襲撃殺す相手とは、本当は「徳川家康」だったというのです。
織田信長の策略はこうです。
- 本能寺に徳川家の重臣30人と家康を呼びつける(実際に呼びつけた)
- 明智光秀に家康ら徳川家の重鎮を殺害させ、徳川家の領地の三河(愛知県の東部)を織田家のものにする。
- 襲撃させた明智光秀には中国の明征伐の大将に任命し、その遠征と戦によって明智家を弱体化させ、その領地の美濃(岐阜県の中・南部)を我が物にする。これによって、織田家の領地である尾張(愛知県の西部)に隣接する領地がくわわることで、織田家一族の安泰を気づきあげるのが目的だったというのです。
この計画の真意を何らかの形で察知した明智光秀が、先手を打って織田信長を襲ったというのです。
そして、この計画を察知していたのがもう一人、羽柴秀吉(豊臣秀吉)であり、全ての計画を知ったうえで‘漁夫の利’を手にしたというのです。
これが事実だと、秀吉の異様に速い本能寺への到着、そして徳川家康の異常に慌てた逃走行動、その全ての理由と行動のつじつまが合ってくるのです。
歴史はいつの時代も「隠ぺい」と「改ざん」が付き物で、それがために謎や矛盾が存在します。そして必ず、新事実が出てきて、研究者の話題になります。
史実を覗けるメカが有ったら、面白いでしょうね。
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コメント
というより、すべて秀吉の陰謀とした方が筋が通りそうですね。しかし、猿知恵で脇が甘いのですべてバレバレになったようだと。
投稿: ましま | 2015年9月 1日 08:32
ましまさんへ
最近は、その説が最も有力ですよね。もっと言えば、秀吉の行動計画はすべて弟の「羽柴長秀(豊臣長秀)」がやっていたと言われますので、‘長秀の策略だった’とも言えましょうね
投稿: 玉井人ひろた | 2015年9月 1日 09:20