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2016年1月27日

‘しびれる試合’と勝利

ついにやりました。AFC U-23選手権カタール2016(オリンピック・アジア最終予選)準決勝の日本(U-23代表)対イラク(U-23代表)の対戦が日本時間の26日22時過ぎから行われ、2対1で日本が勝利し代表枠である「3位以内」を決定し、オリンピック出場を決めました。

あとは、30日()に行われる決勝で主催地のカタールに勝った韓国と対戦することになりますが、これでも勝利し、オリンピックでの初戦を少しでも有利にしたいものです。

今回のアジア予選の地は、1993(平成5)年10月28日、アメリカW初出場を目前にして起こった、サッカーファンなら忘れることができない「ドーハの悲劇」の場所です。

それも、今回も対戦相手も同じイラクでしたし試合展開まで同じようなものとなり、嫌な思いが出ずにはいられませんでした。

しかし、最後のアディショナルタイムに勝利を呼び込んだのは、今度は日本でした。ライブで視ていた私は、嬉しかったなんて言うもんじゃなかったです。

そして、勝利後のインタビューには今回も手倉森監督の慣例の言葉が発せられました。

「きょうも‘しびれる試合’でした」

ちょっと早いですが、今年の流行語大賞候補じゃないですかね(

さて、U-23(23歳以下)日本代表監督の『手倉森 誠てぐらもり まこと)氏』とは・・・

東北の青森県五戸町出身で昭和42年(1967)11月14日生れの現在48歳、元サッカー選手で、U-23全日本監督に就任する以前まではJ1のベガルタ仙台監督を務めていました。

ちなみに、ベガルタ仙台で現在コーチをしている『手倉森 浩 氏』は双子の弟になるそうです。

ベガルタ仙台の監督に就任していた期間は2008年~2013年でしたのですが、ベガルタ仙台最初はそれほどその手腕を評価する人は居なかったと思います。

それが、当時J2だったチームを2年で東北初のJ1に昇格させた2010年あたりから注目されだしました。

そして、J1に昇格した2年目のリーグ開幕前に起こったのが、東日本大震災でした。

津波の大被害を受け、未曾有の死者を出した宮城県にホームを持つベガルタ仙台は練習場かくほどころか、試合そのものをやっていいのかと選手も監督たちも途方にくれました。

しかし、Jリーグ選手たちはいち早く「試合を見せることこそ、我々にできること」として、リーグを開始したのでした。

忘れもしない。ベガルタ仙台のリーグ開幕試合の勝利の瞬間です。

リーグ戦の初戦に勝利しただけなのに、手倉森監督はその勝利に歓喜し人目もはばからず号泣しました。それは、次の試合も、その次の試合にも、勝利するたびに大泣きする監督の姿が有りました(この年仙台はリーグ2位になった)。

あの手倉森監督が、「泣くのは、決勝で(韓国に)勝ってからにします」と仰いました。

決勝でも‘しびれる試合’で勝利し、監督の歓喜の涙の姿を、視てみたいです。

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コメント

悲劇から歓喜へ。
でしたね。

投稿: もうぞう | 2016年1月27日 19:20

もうぞうさんへ

でも、あの悲劇の印象が強すぎるわたしには、なかなか払拭できません

投稿: 玉井人ひろた | 2016年1月27日 20:59

決勝戦ですからね、運も味方にしないとね・・・。

投稿: 鹿児島かっちゃん | 2016年1月29日 13:24

鹿児島かっちゃんへ

運も強さの内と言いますからね

投稿: 玉井人ひろた | 2016年1月29日 14:37

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