伊藤博文のクサビ
日本国憲法には天皇が国政に直接参加することが禁じられ、天皇の国事行為にはすべて内閣の承認が必要不可欠になっています。
第3条 天皇の国事に関するすべての行為には、内閣の助言と承認を必要とし、内閣が、その責任を負ふ。
上記がそれを規定する憲法の条文です。
これは天皇の権限が暴走し旧憲法下での戦争になった反省が基になっていることは間違いありません。
言い換えれば憲法3条は天皇制へのシビリアンコントロール(文民統制)とも言えましょう。
ところが、これは旧憲法(日本帝国憲法)の誤解があります。
明治に東アジアで初めての憲法を作成することとなった伊藤博文は「天皇」の権限が一部の者によって利用され暴走することの無いように、憲法にはクサビの条文を入れていたのです。
旧憲法の第55条 です
第55条 国務各大臣ハ天皇ヲ輔弼(ほひつ)シ其ノ責ニ任ス
上記がそれです。
つまり、この条文の内容によって伊藤博文は「天皇の国事行為は全て国務大臣の助言と承認後に行う」としたのです。現憲法の「第3条」とソックリです。
実際にも、そのように行われ、明治天皇らは一度も国務大臣の承認事項に反論することがなく承認したそうです。
ですから、シビリアンコントロールによって軍部の暴走は起らなかったはずなのです。
しかし、伊藤博文が他界すると時代は変化、軍部(陸軍)が憲法の第11条
第11条 天皇ハ陸海軍ヲ統帥ス
を「軍隊に関しては、国務大臣の承認は無用(天皇単独の決断で動ける)」と拡大解釈したことによって、戦争になっていたようです。
与党政権にによる憲法の拡大解釈というのは戦後の現在も行われていますが、それはどこまで拡大するのでしょう
伊藤博文の嘆きが聞こえるようです
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コメント
それに、天皇が任命する大臣のうち陸・海軍大臣は両軍部の推薦が必要となり、総理に組閣の大命が出ても軍部が推薦を拒否し、辞退するようなことにもなりました。
私は、伊藤博文は西欧列強の帝国主義を日本が真似すねことに反対だったと信じてます。だから、重安根に暗殺されたとき、最後の言葉が「馬鹿な奴だ」だったのでしょう。
投稿: ましま | 2016年2月20日 08:54
ましまさんへ
伊藤は、大隈重信の自由と人権の憲法論と、伊東の帝国主義の狭間で「天皇」の位置付けを悩んだようで、結果としてスイスの憲法を手本とし、将来的にはイギリス議会のような政党による政府運営を目指し陸軍の上層部の暴走をギリギリのところでコントロールしていたようです
投稿: 玉井人ひろた | 2016年2月20日 11:56