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2016年4月 4日 (月曜日)

式年祭と神仏分離令

今上天皇と皇后両陛下が、4月3日に神武天皇の御陵に参拝なされました。これは神武天皇が崩御されてから2600年目になる「二千六百年式年祭」というものだそうですね。

宮内庁によると、これは100年ぶりの式年祭で、やり方は100年前の大正5年(1916)の「二千五百年式年祭」で大正天皇・貞明皇后両陛下が参拝した前例にならい行われたようです。

この天皇家の行事もそうですが、現在行われている皇室行事は明治22年(1889)に大日本帝国憲法と同時に制定された旧皇室典範に基づいた旧皇室祭祀令に準じて行われています。

天皇の葬式にあたる「大喪の礼」、そして「天皇は男子が継承する」などの規定も、明治になってから政府が定めた規定や行事で、それ以前の日本には無かったものです。

これは言い換えれば、幕府の威光を消し去り、天皇を中心とした新たな日本を作ろうと明治政府が考えに考え出した大デモンストレーションの一つだったのでしょう。

ただ、その天皇制が拡大解釈されて戦争に突き進むことになったことは残念な歴史です。

余談

  • 後白河天皇の御陵 ⇒京都の法住寺(天台宗)
  • 後醍醐天皇の御陵 ⇒奈良の如意輪寺(浄土宗)
  • 孝明天皇 の御陵 ⇒京都の泉涌寺(真言宗)
    ※江戸時代最後の天皇

明治になる前は、天皇の葬儀は僧侶が行っていた歴史があり、上記のように天皇の陵もお寺に存在することも何も問題が無かった時代が有りました。

僧侶は、中国からいい薬や医療の知識をも得ていため、天皇家にとって医師の役割も果たしていたことは、明治政府が発令した「神仏分離令」によって消滅してしまった、もう一つの歴史でしょう。

ただ、現在判っていることに、「神仏分離令」を出した明治政府には「廃仏毀釈」の目的は無かったようです。

明治政府の公式見解に“神道は宗教に非ず”というのが残っていますが、単に神道=天皇を仏教から独立させ、もっと尊い地位にしただけだった様子がうかがえます。

それがどこかで、廃仏論者が利用したか?勘違いしたか?で変わったようです。

なんだか、「生類憐みの令」の誤解の経緯とよく似ています。

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コメント

 神武天皇の神武も天皇もずっと後の時代にできた呼称で、当時では「かむやまといはれびこのみこと」といっていた(古事記)。

 日向からきたはずなのに、なぜか名前の中に「大和」とか「磐余」という奈良の地名が2つも入っている。

 樫原の神武天皇陵も定説は「にせもの」。まあそんなことどうでもいいんですよね。今の天皇さえ憲法厳守で平和第一なら(笑)

投稿: ましま | 2016年4月 5日 (火曜日) 11:15

ましまさんへ

記録では
「かむやまといはれびこのみこと」は諱(若い時の名)、それに対し「神武」は天皇即位名となっていますね。
「やまと」は「山門」とか「山戸」とか表わしたりする一族名になりますので地名ではないと思います。

ただ、神武天皇は実在しなかったという可能性が高いですよね。
それにあの杖の上に八咫烏とまらせた有名な絵、古代ユダヤ教や聖書に出てくる「モーゼ」に酷似しているのが面白いです

投稿: 玉井人ひろた | 2016年4月 5日 (火曜日) 15:56

日本独特の神仏習合なんてありますしね。
もっともそのお陰で、宗教に拘りのない人が多いとも言えますからね。
でも外国の人から見たら不思議なんでしょうね。

投稿: もうぞう | 2016年4月 6日 (水曜日) 19:26

もうぞうさんへ

「無宗教」とかいう考えは、神社庁がGHQへのカモフラージュとして作り上げたような思考で、ちゃんとした宗教が日本人にあること自体を、日本人が理解していないというのは皮肉な話です

投稿: 玉井人ひろた | 2016年4月 6日 (水曜日) 22:27

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