「人の噂も七十五日」の‘75’とは
「人の噂も七十五日」ということわざが有りますが、改めて考えるとここに出てくる「75日」とは中途半端であり、とても不思議な思いにに駆られるものです。
「75日」とは、どういう根拠か?との答えの結論を先に言うと・・・なんと「にはこれといって深い意味がない」ということのようですが、それに続いて「・・一説によると・・」という但し書きが付随してきます。
さてその諸説とは?
<諸 説>
- 野菜などの種をまいて収穫するまで約75日かかると言う事で、ひとつの区切りとして75日になった。
- 昔は、春夏秋冬の他に、その四季の境ににあたるところの「土用」(18日間×4季節=72日間)を含めた五季節という考え方があり、1年の“365日”を5で割ると73になることから転じた。
- 『二十四節季』では一節季がほぼ『15日』で、『五節季(75日)も過ぎる頃には季節もまったく違う物になっている』ということを意味する。
- 中国の陰陽道の影響で、七や五はめでたい数字とされて、噂というのはそのめでたい「七」や「五」がつく日には消えているだろうとした。
- 昔の暦は春夏秋冬の一つの季節の期間が年によって70~75日あることから由来。
この説の中でよく出ているのは1番と2番の説ですが、2番の説には決定的な間違いがあります。
日本の旧暦の1年は「355日(閏年=385日)」が正しく、365日は西暦の1年ですから誤りです。
さて、鎌倉時代後期(西暦の14世紀前半)に書かれた『源平盛衰記』の中に「人の上は‘百日’こそ申すなれ」とあるそうで、「人の上(ひとのうえ)とは「人事・他人事」の意味で、古い時代には「出来事も‘100日’もあれば忘れられてしまう」と言うようなことが記載があるそうです。
それが‘75日’として出てくるのが江戸時代になるようで、文政13年(1830)に書かれた『人情本・春色辰巳園』の記述↓
「人の噂も七十五日、過ぎた昔は兎も角も、今じゃあ実の兄弟どうぜん」
そして、明治19年(1886)作の歌舞伎『盲長屋梅加賀鳶』の五幕↓
「たとへ世間でとやかうとおまえの事を言はうとも、人の噂も七十五日、僅か一月か二月だ」
と言う記述が出てくるそうです。
いずれにしても、最初に結論を言ったように大した意味は無く‘熱しやすく冷めやすい江戸っ子は「2ヶ月半」もあれば同じ内容の噂話には飽きて、新たな話題に移っていく’という意味なんだろうと思うことにしました。
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コメント
そんな説があるとは・・・
単に語呂が良いからだと思っていました。
投稿: もうぞう | 2016年5月17日 19:24
もうぞうさんへ
案外、「ごろあわせ」のほうが正しいのかもしれませんよ
投稿: 玉井人ひろた | 2016年5月17日 20:40