「3本の矢」・・・は架空のお話し
広島にオバマ大統領が来訪し演説後に、安倍総理大臣も演説を行いましたが、その時にまたお得意というか口癖と言うか(?)「三本の矢」というのが語られました。
「3本の矢」と言えば、なんといっても「毛利元就(もうりもとなり)」が‘3人の息子たちに対して言った教え’として、あまりにも有名な話しです。
>「三本の矢」とは、“毛利元就が死ぬ間際に息子達「隆元」(長男)、「元春」(次男)、「隆景」(三男)の3人を枕元に呼んで、
「1本の矢ではすぐに折れてしまうが、3本を束ねれば簡単に折れない。だから3人が力を合わせて(父亡き後も)毛利家を守れ」
と遺言として聞かせた逸話から生まれた故事に由来。
ところで、この「三本の矢」の逸話ですが、毛利元就が息子に言ったというこのお話し自体が‘全く存在しない架空の話し’なのです。
毛利家には有名な家訓が有りますが、それにも三本の矢どころか「矢」の字も無いのです。
もっと詳しくやりますと・・・
毛利元就の息子達とは↓
<毛利元就の息子達(長男~十男)>
- 毛利隆元、
- 吉川元春、
- 小早川隆景、
- 穂井田元清、
- 毛利元秋、
- 出羽元倶、
- 天野元政、
- 末次元康、
- 毛利秀包、
- 二宮就辰
息子だけで10人います。元就が存命中にほとんどが元服(成人)していましたので、父親の死が近づいているときに枕元に長兄ら3人だけということはありえません。
さらに、長男の「隆元」は元就が亡くなる8年前にすでに40歳の若さで他界していますので、親の死のときに3人が揃うことはありえません。
史実では、親である「元就」が家督を長男の「隆元」に譲った際(1557年)、ちょっとおとなしい長兄を次男の元春と三男の隆景が助けてもらいたく、兄弟の結束を呼びかける文書を書いたもので、後に「三子教訓状」と呼ばれて毛利家の家訓となった話しを、後世の家臣によって装飾され創作されたお話のようです。
そんな話を知っているだけに、安倍総理の話しで「三本の矢」を聞くたびになんとも嘘くさく感じてしまう私です。
ちなみに上杉謙信の「敵に塩を送る」の話しも誤りで、後世に装飾された創作話です。
実際には塩を送ったのではなく、上杉家の塩商人を武田信玄の領地に送り込み、法外な値段で塩を売りつけ、莫大だと言われた武田家の財力を奪いとり、戦力を減少させようとする上杉謙信の奇想天外な策略だったようです。
ただ、あまり効果は無かったようですね。
戦国時代の有名武将には後世の創作が非常に多く、それがまた内容が面白いです。
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コメント
こんばんわ。
・「文章」を読んで。
これは、知りませんでしたね。
投稿: H.K | 2016年5月28日 22:31
H.Kさんへ
教科書には無いですからね
投稿: 玉井人ひろた | 2016年5月28日 22:46
安倍首相の三本の矢は、次々に射るということですが、元就伝説にもなく、どこから来たのでしょうね――
投稿: ましま | 2016年5月29日 07:20
ましまさんへ
なんだか、江戸町奉行時代の大岡越前という人が最初に使い始めたか?なんらかの関係があるらしいようです
投稿: 玉井人ひろた | 2016年5月29日 08:17
もしかして、安倍さんもこのことを知っていて、わざと使っている?
だとするなら、大した人物です。
しかし玉井人ひろたさまも、たいそう物知りでたいした人物ですこと。
投稿: もうぞう | 2016年5月29日 20:11
もうぞうさんへ
三本の矢は何かの古文書に出ているとかで、よく使われるものなっだそうですが、安倍総理がそこまで知っていっているとは思えないですね
投稿: 玉井人ひろた | 2016年5月29日 21:57