‘謝罪’するのは・・・
田野岡大和くん行方不明事件は無事解決しました。本当に無事発見できてよかったとお思います。
さて、その発見を受け大和君の父親が記者団に言葉、わたしにはどうしてもがてんがいかないところが在るのです。
父親のコメント↓
「この度は私の行き過ぎた行動で息子に大変、つらい思いをさせてしまい、学校の関係者、捜索にあたって頂いた方々、皆様にご迷惑をお掛けしました。
深くおわび致します。
皆様にご迷惑をお掛けしながら、捜索に携わって頂いた方々、皆様には本当に感謝の気持ちでいっぱいです。
本当にどうもありがとうございました。
これからは、息子に対してもっともっと、今までも愛情をいっぱい注いできたんですけれど、今まで以上に息子と一緒に、ともに息子の成長を見守っていきたいと思います。
どうもありがとうございました」
実に(日本的で)“感謝についてだけ”は良いコメントだと思いますし、確かに、捜索にあたった警察、消防、自衛隊への感謝の言葉は当然だと思います。
しかし最初に、その捜索にあたった組織への「お詫びします」と言う言葉を発するのはいかがなものでしょうか?
彼らは、1週間も必死に捜索したことは大変な労力だったことは間違いありませんが、それが仕事であり、県民や国民からの血税の中から給料をいただいているわけです。
つまり、税金分の仕事を忠実に行ったわけで、賞賛に値しますが、定められた公務を行ったことに対しお詫びするのは変な話ではないでしょうか?
例えば、
役所に行って(手数料を払って)住民票を受け取ったときに、(礼は言うが)深々と頭を下げて「ご迷惑をかけます」と‘お詫び’をするでしょうか?
もし、公務を忠実にすることに納税者が「お詫び」するのが正しいというなら、それは戦前・江戸時代と同じ「お役人様」という考え方そのものに思えてしょうがないのです。
私の考えは、日本では変なのでしょうが、同じことを思っている人、少なくない気がします。
それよりも
まづは最もお詫びをしなくてはならないのは、大和君の親御さんらを犯人扱いしたWEB投稿者や、一部のマスメディアでしょう。
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コメント
こんばんわ。
今回の事件に、自分自身は「しつけ」を与えた父親に遺憾の意を感じますね。
投稿: H.K | 2016年6月 5日 (日曜日) 21:40
謝罪のあり方が、本筋からちょっとずれてきているのだと思います。
自分を中心に考えて、お礼を述べると、新たな非難が待っているような??
スポーツ選手もそうです。
まずは、みなさまの声援のお陰です。って言っておかないと。あいつは生意気だとか、言われかねませんからね。
投稿: もうぞう | 2016年6月 6日 (月曜日) 18:20
H.Kさんへ
「しつけ」は親の義務ではないでしょうか?
もうぞうさんへ
マスメディアの扱い方が低俗になっているのも要因かもしれません
投稿: 玉井人ひろた | 2016年6月 6日 (月曜日) 18:49