訓読・・・難読・・・大和言葉
漢字には、訓読と音読があります。
音読とは、主にその漢字そのものの読み方で、古代の中国語の読みに近いのが多い読み方ですが、その中にも漢時代のものと呉時代いのものとがあり読み方が複数になります。
それに対し、訓読は日本古来の、大和言葉、日本語の固有語(和語・倭語)を中国の漢字に当てた、日本人が常用していた読みかたと言えましょう。
ところが、日本が文字を輸入したころから、「お役人や知識有る者そして僧侶=漢文の読み書きができる者。」というのが定着しはめ、日本語が変遷していって現在に至るのだと思います。
そのために日本の文章には「口語体」と「文語体」というのが存在するという独特の文化ができたのは、わたしのような一般庶民にも想像がつきます。
つまり、「訓読」で使われる読み方・言い回しの方が、本来から言えば我々が先祖代々使っている‘日本語’と言うことでしょう。
ところが、言ってみれば訓読は“究極の当て字”ですから、古い日本語知らない現代人にはかえって難読になってしまっています。
例えば
- 天地・・・→「あめつち」
- 天皇・・・→「スメラミコト」「スメロキ」「スベラキ」
- 灰汁・・・→「あく」
- 葡萄牙・・・→「ポルトガル」
- 神社・・・→「かむやしろ」
神道の用語は殆どが、今は一般的じゃない和語ですから、言葉を知っていないと全く読めません。
ただ、日本人として風情が有る大和言葉は知らず知らず使っているのも事実で、意外に現代人も捨てたものじゃないです。
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コメント
結構ありますよね。
思い出そうとすると、なかなか出てきませんが。
お土産とか
他、果物や野菜などにも多いかと。
投稿: もうぞう | 2016年8月22日 (月曜日) 18:00
もうぞうさんへ
花の名前も、そうだと思います
投稿: 玉井人ひろた | 2016年8月22日 (月曜日) 18:10
書道史を研究すると、日本人が音読みから漢字を当て字にして使い、一方、意味からもうまく取りこんで行った様子がよくわかるようです。私は、専門的ではありませんけれど、有名な
ひんがしの 野に かぎろひの たつ見えて
かへり見すれば 月 かたぶきぬ・・・柿本人麻呂
月かたぶきぬのところを・・月西渡・・・と古い万葉集では書いています。
こういうことを研究しだしたら一生かかってもまだ短すぎるというくらい面白いでしょうね。
投稿: 山口ももり | 2016年8月23日 (火曜日) 09:18
山口ももりさんへ
日本人でも難しいのですから、外国人には難解な言葉でしょうね
投稿: 玉井人ひろた | 2016年8月23日 (火曜日) 11:34