しょうこくみん
今朝の福島民報新聞に‘小国民’の文字を目にしました。戦後生まれの私ですが、その言葉は知っています。
「少国民(しょうこくみん)」は、日中戦争から第二次世界大戦(昭和12年(1937)~昭和20年(1945))、つまり戦時中に軍部を中心にして使われた、日本の子供を指した言葉です。
これは、ドイツのヒトラーユーゲントで用いられた「Jungvolk」の訳語で年少の皇国民という意味があるそうで、日本では兵隊の銃後(じゅうご=将来の兵)に子供を位置する意味で使用し始めたらしいです。
しかし、朝刊に掲載されていたものは太平洋戦争中のものとは違います。第一に「しょう」の漢字が違います。
これは、日中戦争より40~50年ほど前の明治20年代に発刊されていた少年向けの雑誌名なのでした。
「小国民 (しょうこくみん)」とは、
明治22年(1889)に高橋省三の学齢館から創刊された少年雑誌。初めは月刊、1周年号から月2回刊。後に「小」の字が「少」に改められ「少国民」と改題。明治20年代の「少年園」、「少年文武」と共に、日本の近代児童文学史の草創期を代表する三大児童雑誌の一つである。
内容は、知識読物、「漂流譚」もの。歴史・伝記、翻訳・理科・狂言。口絵・挿し絵は多色刷りを採用するなど先進的であった。編集には「石井研堂(いしいけんどう)」が編集主幹として活躍、最盛期には1万5千部を発行した。
しかし明治28年(1895)9月号で発行停止処分をうけ、廃刊した。
福島の地元紙では、この雑誌の編集長だった「石井研堂」という人物にスポットを当てたのです。その理由は簡単です。
- 『石井研堂』は、慶応元年(1865)6月23日奥州二本松藩領内で‘郡山宿’と呼ばれた処の郡山村下町百一番地で旅籠(宿屋)を営んでいた「石井家」の三男として誕生。本名は『石井民司』という。
つまり、石堂の出身地が現在の福島県の郡山市大町(JR郡山駅前)だからなのです。
私が気になったのは、新聞には記載されていなかったのですが、この少年雑誌が廃刊になったその理由でした。
あちこち調べやっと見つけました。廃刊の理由は「治安妨害記事を記載した」だったのです。
処分を受けることとなる明治28年(1895)という年は、日清戦争が終わった年で、日本と当時清国と呼ばれていた中国の間で終戦協定条約が結ばれたのですが、その内容に対し国内では不満が上がっていたというのです。
- 「日本が少し弱腰すぎるのではないか」
- 「日本と清国の二国間の交渉で十分なのに、それ以外の国が横から嘴を入れてくるのは、おかしいのではないのか」
雑誌の「小国民」でも、条約に関しての記事を記載したところ↓、
「政論掲載、つまり政治的な文章を子どものための出版物に載せてはいけない」
という理由で発行停止処分となったのです。このとき同じ少年雑誌の『少年園』も同じ理由で、履こう停止になりました。
日本政府による「言論統制」の始まりです。
ただし、人気の雑誌だったことは間違いなく、その当時読んでいた子供たちが大人となり、廃刊から40~50年後に「少国民」というのを戦時中に使い始めた可能性は否めません。
雑誌「小国民」は、石井研堂が幼年期に影響を受けた恩師御代田氏の教養の高さからできた人間形成の本でしたが、それが戦争へ向かう言葉に使われていくのは、皮肉な話です。
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コメント
うろ覚えですが、入学したのは間違いなく小学校。同じ学校に入学した4つ下の妹は国民学校。しかし、卒業するときの私は小学校のまゝ。妹の卒業は戦後になりましたがどいう名称で卒業したのかわかりません。
投稿: ましま | 2016年8月27日 20:12
ましまさんへ
みな「少国民」と呼ばれていたんでしょうね
投稿: 玉井人ひろた | 2016年8月27日 21:02
こんばんわ。
・「文章」を読んで。
これは、初めて聞きましたね。
投稿: H.K | 2016年8月27日 23:08
H.Kさんへ
古い話です
投稿: 玉井人ひろた | 2016年8月28日 10:43