きょうは『苗字の日(名字の日)』・・・の一つ
「ハッピーマンデイ制度」によって、9月の第3月曜日のきょうは「敬老の日」という祝日になっていますが、台風16号のせいであいにくの雨の天気です。
本来、きょうは「苗字の日」という記念日になっています。
この記念日は、徳川時代が終焉を迎えた明治3年(1870) 9月19日、明治政府は戸籍整理のため、太政官布告により平民も公の場で自分の苗字(名字)を名乗ることが許されたことになったのが、この記念日の由来になっています。
ところが、当時の庶民は何百年も続いた慣習を変えることはせず、明治政府からのお達しに従うものがほとんど無く、2年、3年経っても苗字(名字)を名乗ろうとしなかったそうです。
困った(怒った?)明治政府は、明治8年(1875) 2月13日に、全ての国民が苗字を名乗ることを義務づけたのでした。
そのため、義務化された「2月13日」もまた同じく『苗字の日』という記念日になっているらしいのです。
つまり、違う日付で同一名の記念名があるという、面白い結果がそこに生まれました。
ところで、日本人が誤解していることで「江戸時代まで苗字は武士などしか無かった」ということです。
本来は、戦国時代以降に日本人のほとんどに苗字が有ったのです。ただし、公の場で名乗ることが許されなかっただけなのです。
ちなみに、明治3年~明治23年ごろまで「夫婦別姓」というのが存在していたことも、知られていない事実です。
このころの歴史は目まぐるしく変化したので、学校などではほぼ省略状態なので「○○藩、という制度と呼称は明治政府が造ったもので、江戸時代には無かった」など、など、知られていないことが本当に多いです。
おまけ
「みょうじ」にあてる漢字は「名字」と「苗字」が有りますが、現在はどちらを使っても良いことになっていますが、それぞれが指す意味には違いが有ります。
「名字」とは・・・
- 平安中期頃に、武士が自分の支配下である地域の事を指す「名田(みょうでん)」にちなんだ、「字(あざな)」を作るようになったことがきっかけで、「名田の字」で「名字」となったとされます。
「苗字」とは・・・
- これは、↑の「名字」という漢字が生まれた平安時代よりかなり後期の、江戸時代に使われるようになったとされる。
「苗字」の「苗」は、遠い子孫、末孫という意味があり「苗裔(びょうえい)」という言葉から取られたものとされる。
つまり、両方とも存在していたようですが、明治以降に使用される漢字にたいする当用漢字などの制度が整備されるようになって「苗字」と「名字」の使われ方が変化して現在に至るようですが、古さから行けば「みょうじ=名字」ですかね?
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コメント
母方の実家のあった農村では、まだ「屋号」が健在でした。
裏の自作農は「弥五衛どん」、文房具を売っていた店は「伊善どん」。
現在、自宅近くの農家も門柱に立派な表札で屋号が書いてあります。
投稿: ましま | 2016年9月19日 (月曜日) 21:11
ましまさんへ
屋号は、名字代わりをしていたようですから長い歴史が有りますね
投稿: 玉井人ひろた | 2016年9月20日 (火曜日) 07:49
月下美人の件、解りました。
また、近近、一つ開花します。(4~5日の内です)それと、5mm位の、蕾が、4個付きましたので、10月の初めに、開花しそうです。アップしますので、見てくださいね。
投稿: nanami | 2016年9月20日 (火曜日) 13:54
nanamiさんへ
ありがとうございます
投稿: 玉井人ひろた | 2016年9月20日 (火曜日) 16:40
9月15日は、「老人の日」として残っている?のが、不可解です。
投稿: もうぞう | 2016年9月20日 (火曜日) 19:45
もうぞうさんへ
そうなんですよね
投稿: 玉井人ひろた | 2016年9月20日 (火曜日) 20:04
私の父の代の頃、一字姓がどうこうというのがあったそうです。前の姓が「吉」でそれを「二字姓に変えろ!」という役場からの命令があり、「吉田」に変更したところ、役場の人が勝手に二字姓にしてあり結局は「吉田田新助」になってしまいました。したがって父の名前の呼び方は「よしだ、たにすけ」になってしまいました。私の代では「吉田勝也」になりましたが、ひょっとしたら「よし、たかつや」になったかもしれませんね。
投稿: 吉田かっちゃん | 2016年9月22日 (木曜日) 11:48
吉田かっちゃんへ
そういうことがあったんですね。私の周りでもあったのか?ちょっと調べてみたくなりました。
投稿: 玉井人ひろた | 2016年9月22日 (木曜日) 20:27