柳屋金語楼(やなぎや きんごろう)と授業
現在の教師は、黒板や大きな図表を指す場合はレーザーポインターとやらを使うようですが、私の中学生のころはそう言う場合は「指し棒」というものを使っていました。
ただ、それを使う先生の存在自体は稀ではありました。
私の中学の担任で社会科の先生はそれを使っていましたが、その指し棒がちょっと普通じゃないのでした。
『亀甲竹(きっこうちく)』という竹があります。
←根元部分の節が互い違いになり、それが亀甲に見えることからその名が有りますが、水戸黄門様が付いている杖がそれです。
乾燥すると非常に硬く、しかも軽いので杖としては最高の材料ですが、私の中学の担任はこの‘竹竿’(約1m)を指し棒に使用していたのです。
この指し竿は、ときとして悪ふざけをした生徒たちを殴る‘体罰棒’としても機能していました。
現代なら、訴えられて教師を退任させられることでしょうが、そのころのは絶対ありえません。
それどころか、先生に殴られたことを親に言おうものなら「どんな悪い事をしたんだ」と叱られ、親からもっと痛い目に遭ってしまいますから、ひたすら隠し通すのが常でした。
それはともかく、この先生の授業には必ずその日の朝刊の記事を一つ発表するという課題が有りました。
これは、「社会科の最高の教科書は新聞だ」という先生の持論によるものでした。
ですから、授業には先生もその日の朝刊を持参し、その日の目だった記事を先生自ら話題にすることから始まりました。
ある日の朝です。先生がいつものように新聞に目をやり「柳屋金語楼さん死去」の記事を読み上げました。
その途端にクラスのみんなから大笑いが出たのです。
ところが、それに対し先生が言った言葉で、クラスの笑は一瞬で止まったのです。
「柳屋金語楼は凄い人だようなぁ。死んでも、笑わせるんだからな」
みんなは、その言葉にハッとしたのです。そして、その当時お笑いではトップスターだった柳屋金語楼さんの、その偉大さに気づかされたのです。
現在沢山の漫才師、落語家、お笑い芸人にコメディアンがテレビをにぎわしていますが、死去の報道で笑いを得る人物が居るでしょうか?
あらためて、当時の金語楼さんの桁違いの人気ぶりを思い起こさせられました。
若い人には知らない世界ですね。
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コメント
金語楼といえば漫才ではエンタツ・アチャコ、戦後は三遊亭歌笑、相撲で言えば大横綱クラスでしたね。
投稿: ましま | 2016年9月27日 19:49
ましまさんへ
飛びぬけた存在でしたよね
投稿: 玉井人ひろた | 2016年9月27日 20:24
新聞記事といえば
私もなつかしい思い出があります。
当時、三池炭鉱の争議がありました。
社会の先生がある事件について、いろんな見方を
している人たちがいる。
この事件はなんなのだろう、と手に入る各種新聞
を手に入れ、スクラップして見比べたものです。
以来かな。私が社会に関心を持ち出したのは・・。
玉井人さんの先生もいい先生でしたね。
投稿: あね | 2016年9月27日 20:55
(*^m^)なぁるほど!
確かに柳家金五楼は面白かったね。
落語はお笑いの最高峰!
人情味があるもの。
人を馬鹿にしたり下品な今のお笑い界では
笑えない。。。これってあたしが古いのかな??
投稿: Pee | 2016年9月28日 06:35
あねさんへ
まさか!同じ先生だったりして?
Peeさんへ
あの方たちは落語家というより「噺家(はなしか)」のほうが似合いますよね
投稿: 玉井人ひろた | 2016年9月28日 08:07
やなぎやきんごろう、
って、柳家金語楼と書くのだったですね。
忘れかけていました。
しかし跡継ぎはいなかったのでしょうか?
投稿: もうぞう | 2016年9月29日 19:23
もうぞうさんへ
居なかったんでしょうね。ただ、浪曲などにはいるようです。
林家一門も元は同系だそうです
投稿: 玉井人ひろた | 2016年9月30日 08:07