参議院の名に込められた意味
明治23年、福島県(現三春町)出身の「河野広中」らの「日本にも国会をつくるべき」という命がけ(実際に政府によって暗殺された運動員が複数いる)の運動家らによってに出来上がった日本の国会です。
その国会は終戦後の昭和22年5月までは、衆議院と貴族院という2議院制だったことは誰でも知っていることでしょう。
衆議院は選挙によって選ばれるので、議員の事は「代議士」と呼ばれましたが、もう一つの貴族院のほうは選挙が無く、皇族や華族(旧大名たち等)らなど身分の高い人々で構成され、主に代議士たちの反政府的な議決や暴走を監視するような立場だったようで、最終議決権も有りその権力は絶大だったようです。
その後、貴族院は昭和22年廃止されて「参議院」という名称に代わりました
さて、衆議院と参議院の二つの内、衆議というのは文字を見れば「大勢の人(=民衆)が集まって議論・相談する」であろうことは想像がすぐに付きますが・・・
改めて考えると「参議」という名称の意味が判然としないことに気づかされます。
「参議」とは・・・
>参議(さんぎ)とは、「国家の政治に参与・協議する」という意味がある。
さらに、「参議」には、奈良時代からあった日本の律令制朝廷組織の最高機関、太政官の官職の一つで、朝政の議政官に位置する役職名の意味もある
四等官の中の次官(すけ)に相当する令外官で、納言に次ぐ高い身分の者(公家)がこれに就いたとされる。
(※ただし、相談を受ける役目で、律令に定められていない役職であったため令外官であった。)
参議には「国家の政治に参与・協議する」という本来の意味の他に、「貴族の役職名」の意味を持ちあわせていたようです。
つまり、『参議院』とは「貴族院」という伝統の名をどこかで残しておきたいという、敗戦国家日本政府のこだわり・思い入れが込められて付けられた名称であるという一面もあるようです。
終戦後、あらたな議会をつくるにあたって、これまでと同じく2院制を維持したいと希望する日本側に対し、GHQ(アメリカ側)からは、注文が出されました。
「国会は、二つの院で意見が異なった場合に混乱を生じるので一院制にすべきである」
これには、2院制のアメリカ国内で何度も同じような混乱を目にしたGHQとしては「2院制は良くない」という考えがあったのかもしれません。
それに対して、日本側は・・
- 二つの院で意見の相違が生じた場合には『衆議院』を優位とする。
- もう一つの院(参議院)は‘職能代表者や知識経験者を持って議員’とする。
- 『衆議院』で行き過ぎがあった場合の抑制組織とするので問題ない
と、説得説明を行って、2院制を承諾させたそうです。
その説得から約70年
現状の参議院は、衆議院への抑止力も無い、衆議院で落選した政党政治家の敗者復活の場に成り下がっています。
まるで「参加することに意義があり」というところみたいになっています
アメリカの上院のように、何かしら一つでも衆議院に勝る議決権を有するような改革が必要です。
それができないなら、廃止も有りでしょう。
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コメント
かつては、枢密院というのもあった。天皇生前退位や後継者問題などもあり、憲法の番人という意味からも復活させたら
投稿: ましま | 2016年10月 9日 12:46
ましまさんへ
なんだか、国政制度が激変しそうな気配ですね
投稿: 玉井人ひろた | 2016年10月 9日 19:47
ほんとですね。
このままではますます参議院の立場が、小さくなりますよね。
投稿: もうぞう | 2016年10月10日 18:36
もうぞうさんへ
改憲の手順の一つとして、総理が手を付けてきたり・・・とかはないですかね?
投稿: 玉井人ひろた | 2016年10月10日 20:37