« 特例 →範例 →恒久化 →法改正 | トップページ | ハラハラと雪が降り消えるように »

2016年12月10日

明治以前の巨漢人物とは

明治以前の日本人成人男性の平均身長は155cmぐらいだったと言われていますから、現代では並みくらいの170cmぐらいでもかなり長身で目立つ人物だったようです。

戦国武将の代表格の織田信長は身長が約170cmだったとされますので、150cmくらいしか無かったとされる、同じく戦国武将の武田信玄、上杉謙信、そして徳川家康からは見上げるような威圧感があったことでしょうね。

明治維新以前でとても背の高い人物としては

  • 大久保利通→身長六尺(約183cm)
  • 西郷隆盛 →身長約178cm
  • 武市半平太→身長6尺(183cm)
  • 佐久間象山→身長6尺1寸(約186cm)
  • 坂本龍馬→身長約176cm
    ※龍馬の姉の乙女は180cm
  • 前田利家 →身長が約178cm(文献上は6尺・183cm)

などでですが、「巨漢」には当てはまらない、少しスマートな人たちだったようです。

さて巨漢と言ったら、現在でもやはり力士たちでしょう。

現在の幕内力士の平均身長は「186cm」で、そして平均体重は「160kg」になるようで、横綱白鵬関が、ほぼこの平均的体型になるようです。

・横綱 白鵬→身長=192cm、体重=152kg

平均身長が160cm未満時代に、この白鵬関のように190以上で体重が100kg以上あったら、まさに巨漢です。

それに値する人物として、誰を思い浮かべるでしょうか?

  • 「山岡鉄舟」(幕府の旗本)身長→187cm、体重→105kg。
  • 「島田魁」(怪力新撰組隊士)身長→185cm、体重→160kg

上記二人は、まさに巨漢です。

ところが、最新の歴史研究で、ひ弱な印象でとても有名な人が、じつはものすごい巨漢だったことが判明しています。

その人とは、天下人豊臣秀吉の息子である「豊臣秀頼」なのです。

< 豊臣秀頼 >

  • 身長→6尺5寸(約197cm)
  • 体重→43貫(約161kg)

これは、当時の成人にあたる15歳のときの数値ですが、白鵬を上回る、まさに巨漢です。

関ヶ原の合戦で勝利してから初めて京の会談でこの巨漢となった豊臣秀頼を目の当たりにした徳川家康は驚愕したことでしょう。

さらに、秀頼は素晴らしい知性と決断力を持つ、豊臣家の長として優れた人物になっていたことを知った家康は「秀頼を打つべし」と心に決めたされ、大阪冬の陣、夏の陣と長期戦と策略を目暮らし、秀頼らを自害に追い込んで言ったのは、知られた歴史です。

そもそも、関ヶ原の合戦とは「秀頼の貢献者争い」であり、家康は関ヶ原で勝利した後もズ~っと秀頼の部下であったわけですから、上司を裏切った人物だったと言えます。

歴史って、勝利したものが都合よく変えるのが常識ですから、負けた方からのほうが圧倒的に面白い事実が出てくるものですね。

| |

« 特例 →範例 →恒久化 →法改正 | トップページ | ハラハラと雪が降り消えるように »

コメント

こんばんわ。
・「文章」を読んで。
凄いですね、こんなに背が高いとは、思いませんでしたね。(゜Д゜)

投稿: H.K | 2016年12月11日 21:41

H.Kさんへ

ただ、記録はいずれまた新たなものが出る可能性もあります

投稿: 玉井人ひろた | 2016年12月12日 14:18

栄養状態が悪いと想像できる時代でも、そんな巨漢がいたとは、ビックリですね。

投稿: もうぞう | 2016年12月12日 18:07

もうぞうさんへ

栄養状態が悪かったというのは、誤解のようですよ

投稿: 玉井人ひろた | 2016年12月12日 20:16

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: 明治以前の巨漢人物とは:

« 特例 →範例 →恒久化 →法改正 | トップページ | ハラハラと雪が降り消えるように »