赤穂浪士は、総勢‘63人’で決行した!?
赤穂浪士の討ち入りの話題が少し無くなるころなので、あらためて話題にしたくなりました()
福島県と山形県の県境の豪雪地帯である板谷峠には、赤穂浪士のある人物の伝承が残っています。
それは播州赤穂藩の家老(末席)を務めていた「大野九郎兵衛」です。
芝居では、この人物は卑怯者として描かれることが多いですが、こちらに残る伝承では↓
>大石ら47名による吉良邸での討ち入りが万が一失敗した場合に、吉良上野介の長男で出羽米沢藩第4代藩主「上杉綱憲」(吉良家から上杉家の養子になった)や、実家である米沢藩・上杉家に移っていた吉良の正妻「富子(梅嶺院)」らが住む米沢に、吉良が逃げ込むである可能性を考え、道中となる板谷街道にあった宿場町の李平(すももだいら)にて大野を中心とした総勢16名の赤穂浪士達が「忠臣蔵第二陣」として待ち伏せていた。
しかし、大石らの討ち入りが成功したことを知り、自害をしたとされる。
米沢の板谷峠には「大野九郎兵衛供養碑」が建立されて在るようです。
http://www.yonezawa-kankou-navi.com/person/kurobee.html
この伝承からすれば、赤穂浪士の総勢は63名になります。
大石内蔵助というと討ち入りをする気配をカモフラージュして遊びほうけていたことで言う名ですが、
もしも、大野らの行動さえ「裏切り者」というカモフラージュをして計画を練っていたとしたら、討ち入りを100%どころか120%成功させる計画を立てていたことになります。
そうなると、芝居やドラマ等及びもつかない、大石の執念が感じられます。
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コメント
わたし、歴史物はダメなんです。
だったらコメントなんかするなよ!
って言われそうですが・・・
投稿: もうぞう | 2016年12月20日 19:47
もうぞうさんへ
そういう方は、沢山おいでになると思います。
投稿: 玉井人ひろた | 2016年12月21日 08:46