登山道の「・・合目」とは?
富士山の登山などの報道で必ず出てくる「現在は○○合目です」ということが出てきますが、この「合目」というもの、改めて考えるとなんともよく解らないものです。
- 合目は何を基準にして決めてあるのか?
- 合目という言い方、由来は何か?
基準は、なんとなく「高度」などを参考にしているのかと思ったのですが、高度計も無い大昔から存在しているので、それは当てはまらないことだけは判断が付きますが、そうなるとさらに分らなくなります。
例によって、これには諸説が存在します。
- 昔、「役行者(えんのぎょうじゃ)」等が修行の際の頂上までの‘難易度や疲労の具合’を基に各人の到達目的や目安として決められ。
- 昔、夜は行灯(あんどん)を灯しながら登っていたので、その行灯の油が‘一合’燃え尽きるところが自動的に休憩地となり、それが基準となり併せて「合目」という言い方ができた。
つまり、「合目」の基準とは登山口から頂上までの大よその所要時間を割りだし、それを10等分などにし、さらに登るときの目標や休息しやすい地点て決められたと考えていいようですね。
簡単に言うと、合目とは登山時間と言えますね。
それなら時間の単位でも良いのでしょうが、その単位の由来にも諸説ありなのです。
一つは先にあげたように「行燈の油、一合」ですが、その他には↓
- 桝に入れた米を逆さまにして出した時の形が山に似ていることから登山の苦しさを人生の苦難に見立てた梵語の「劫(ごう)」が「合」に変化した
- 山頂のことを御鉢、お供えする米も御鉢料ということから、「・・合」という単位を使う米に例えたため私は知らなかったのですが、山には「合目」の他に「丁目」や「菩薩名」などもあるんだそうですね。
要するに、昔、山を登るということはの一貫で、「行者」、「修験者」、「山伏」、「修行僧」などと称した人々の修行手段が主であり、「合目」とは山岳信仰が基本になっているということは間違いないでしょう。
だから「高さ」とか、「距離」とか、「時間」とかの単位を使った言い方が、日本人には無礼・無粋と感じられて使わなかったというより、使えなかったのでしょうね。
‘ピッケルとナーゲル’を用いたいわゆる近代登山を日本で初めて行ったのは、イギリス出身の『ウィリアム・ゴーランド』、『ロバート・ウィリアム・アトキンソン』、『アーネスト・サトウ』の3人の外国人パーティでだそうですが、それは明治7年(1874)のことで、登った山は神戸の六甲山だそうです。
この3人は登山が共通の趣味で、日本国内の多くの山を登ったそうで、そのことによってレジャーやスポーツとしての登山ブームが日本に起こり広がり現代に至るようです。
そのイギリス人の3人もそうですが、後の登山ブームで欧米装備で登った人々が共通して驚いたことがあるそうです。
それは、どんな険しく困難な山に登っても山頂には先に登った人物が居たことの仏像や供え物が有ったことだそうです。
昔の修験者たちの凄まじい決意・信仰の強さを見せつけられるそうです。
そうなると「合目」の意味には、もっと神聖なものを感じてしまいます
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コメント
たしかに、○合目は非常に大ざっぱですね。
おかしいと思う場合さえあります。
山を酒瓶に見立てたという意見もあります。
1合・2合・・・ってね。
投稿: もうぞう | 2017年2月11日 19:19
こんばんわ。
・「文章」を読んで。
これは、初めて知りましたね。
(゚0゚)
投稿: H.K | 2017年2月11日 19:20
もうぞうさんへ
そういう説もあるんですね
H.Kさんへ
私も初めて知りました
投稿: 玉井人ひろた | 2017年2月11日 20:56
油1合は0.18リットル、1升瓶は1.8リットル、1斗缶が18リットル。
今でも灯油1缶・18リットルが取引単位です。ところがあの缶は欧米から来たもの。5ガロン缶といいました。
人間が片手で持てる重さということでしょうね。
投稿: ましま | 2017年2月11日 21:47
ましまさんへ
なるほどそうでしたか。
灯油に関しては、現在は20リッター缶(ポリ)があります。
我が家では4缶が20リッターです。
投稿: 玉井人ひろた | 2017年2月12日 09:16
山に登るとき、五合目というと「後半分か・・・」という気になります。高さではなく距離なんですね。
投稿: 吉田かっちゃん | 2017年2月14日 11:21
吉田かっちゃんへ
距離でもなく「時間」のようですよ
投稿: 玉井人ひろた | 2017年2月14日 15:11