‘三つ’の教育勅語
「教育勅語」というのを広辞苑などで調べると、必ず「正式文書では『教育ニ関スル勅語』である」という文が記載されています。
これにはこれが成立施行されるまで複雑な経緯があるからですが、私の個人的な考えとして『教育ニ関スル勅語』と、「教育勅語」は別物として考えた方がシックリくる気がしてなりません。
そう考えると、“教育勅語は三つ在る”という理屈が成り立ってきます。
一つ目・・・明治天皇が発せられた『教育ニ関スル勅語』
- 明治天皇が内閣と文部大臣の両閣僚に対し語った‘おことば’
- 書き出しに「天照大御神・・・・云々」がある。
二つ目・・・四文字熟語になった「教育勅語」
- 井上毅文部大臣が中心となって草案が検討された『教育勅語』
- 書き出しには「神武天皇・・・云々」がある内容に改正され施行され学校で使用された。
この二つ目が、明治から太平洋戦争が終結するまで日本教育の基礎となりました。
そのため、教育勅語の草案作成にあたった中心人物の井上毅を批判されることも多いのですが、実は井上は草案作成にあたって起草七原則ともいうべきものを当時の山縣有朋総理大臣に示し了承されていた事実があります。
<井上毅の七原則>
- 君主は臣民の心の自由に干渉しない
- 敬天尊神などの語を避ける
- 哲学理論は反対論を呼ぶので避ける
- 政事上の臭味を避ける
- 漢学の口吻と洋学の気習とも吐露しない
- 君主の訓戒は汪々として大海の水の如く
- ある宗旨が喜んだり、ある宗旨が怒ったりしないもの
非常に興味深い、出来上がった教育勅語と相反し、どちらかと言うと民主的な内容に驚かされます。
でも、結果として(天皇を神格化する)「畏天敬神ノ心」を主張した元老院議官中村正直達の考え方・解釈が大勢を占め、その結果がどうなったかはご存知の通りです。
そして、GHQの占領下にあった昭和23年(1948)6月19日、新選挙制度で発足したばかりの衆参両議院において‘「教育勅語」は排除・失効確認決議’されますが、戦後新たに誕生した「神社庁」と言うところから、下の様なものが配布されます。
これが・・・三つ目の「教育勅語」です。
「福島神社庁」でも「教育勅語の十二の心」と言うタイトルで配布が行われています。
←は、わが家の茶の間に貼られたものです(母が貼った)
確かにこの十二項だけ読めば本当に良いことばかりです。がしかし、最後の義勇にある部分が「皇運(皇室)」の部分が「国」に変っているように、これを教育勅語だと思っているなら誤解で、これは全くの別物です。
稲田防衛相など「教育勅語のどこが悪いのですか」と語る人々の言う“すばらしい教育勅語”とはこの三つ目を誤認しているのではないでしょうかね?
教育ニ関スル勅語全文サイト↓
http://www.inaco.co.jp/isaac/shiryo/kyoiku_chokugo.htm
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コメント
教育勅語が話題になっていますね。
漢文の勉強として、また現憲法との違いを
しっかり把握できる教育者がそばにいれば
この勉強もやぶさかでは
ござんせん。
投稿: あね | 2017年4月 7日 (金曜日) 20:17
あねさんへ
どんな法も憲法も、それを拡大解釈する者によってどうこうされるというところ、ここが問題の根幹なんでしょうね
投稿: 玉井人ひろた | 2017年4月 8日 (土曜日) 07:53
日本のアイデンティティー作りに大わらわだった頃にまとめた勅語です。
今の時代に合うようなアイデンティティー作りができる政治家がおらず、100何十年か前のもので間に合わそうと……
投稿: ましま | 2017年4月 8日 (土曜日) 08:56
勅語と言う言葉が戦後問題になったのでしょう。内容そのものは時代が変わっても基本的には大事な事ばかりです。
投稿: 吉田かっちゃん | 2017年4月 8日 (土曜日) 11:35
ましまさんへ
その通りだと思います。ただ、当時の政府の人々の努力は認めたいと思います。
吉田かっちゃんへ
現在「勅語」は「天皇のおことば」に改められていますが、このことばにはあまり関係してるとは思えません。
投稿: 玉井人ひろた | 2017年4月 8日 (土曜日) 19:42
三つ目の勅語は、良いことが書いてありますね。
たしかに現在、ないがしろになりつつあるようなことが多いですね。
投稿: もうぞう | 2017年4月 9日 (日曜日) 19:52
もうぞうさんへ
良いところを抜粋していますし、最後のは天皇を国に書き換えていますからね
投稿: 玉井人ひろた | 2017年4月 9日 (日曜日) 21:06