福島第一原発の敷地から‘不発弾’
10日(木)の、東京電力福島第一原発の敷地内の工事個所から長さ約85センチ、直径約15センチの円筒形の‘不発弾’らしきものが発見されたというニュースは、県内の注目の事でした。
直ぐに陸上自衛隊の不発弾処理班が作業に当たり、旧日本軍の‘50キロ爆弾’であることが判明しました。
この爆弾には信管がぬかれていたため、無事に回収終了となりましたが、場所が場所だけに(原発1~4号機から約1キロ離れた場所)だけに現場は緊張したことでしょう。
私としては、あの場所が元々旧陸軍の飛行場跡地だったことを知っていたので、それほど驚くことではなかったです。
それより、今までの原発工事で出てこなかったほうが驚きでした。
もっと、出るかもしれませんし、もしそれが旧日本軍のものではなく、アメリカ軍の不発弾だったら大ごとで、そっちの方が心配です。
<東京電力福島第一原発敷地の歴史のあらまし>
- 昭和16年(1941)、帝国陸軍の磐城飛行場(長者ヶ原陸軍飛行場)完成
- 昭和17年(1942)、宇都宮陸軍飛行学校磐城分校が発足
- 昭和20年(1945)、磐城飛行場特別攻撃教育隊として独立
- 昭和20年(1945)、米軍の航空母艦艦載機による空襲を受ける
- 昭和23年(1948)、民間の国土計画興業株式会社に払い下げられて天日式の塩田として使用。一部は農地となる
- 昭和34年(1959)、塩田操業の停止し空き地となる
- 昭和36年(1961)、地元自治体(大熊、双葉、浪江)が原発誘致を認める
- 昭和38年(1963)、原発建設着工
- 昭和39年(1964)、用地買収開始
これを見ると、終戦近くに特攻隊養成訓練所だったことになります。
そのころ私の亡き父は、召集令状を受けたたのですが特攻隊の訓練所に行く予定になっていたそうでが寸前に終戦となり助かった人ですが、もしかするとこの場所で訓練予定だったのかもしれません。
| 固定リンク | 0
コメント