戊辰(つちのえ たつ)
西暦では1868年の1月27日、旧暦では慶応4年1月3日に始まった戦いはその年の干支が戊辰(つちのえたつ)であったためそれを音読みして「戊辰(ぼしん)戦争と名付けられました。
ただし、同じ戦争で敗戦となり賊軍と呼ばれた旧幕府軍側の地域では「東西戦争という言い方をします。
- 東軍=旧幕府軍・・・「東武天皇」(孝明天皇の従兄弟)
- 西軍=新政府軍・・・「明治天皇」(孝明天皇の息子)
つまり、2018年の今年は戊辰戦争から数えてちょうど150年になるのです。
古い言い方で言うと、60年で一回りする干支が‘二回り半’(還暦2回と小還暦1回)したこととなります。
それを記念して福島県では会津を中心に「立場は違えど志を胸に戦った日本人の足跡は、多くの教訓を伝える。」として法要や記念行事が開催されるようです。
この戊辰戦争から会津戦争に移行した戦い、毎年のように新しい事実が判明してきています。
私が驚いた昨年の史実は、鶴ヶ城(会津城)の西軍が放った砲撃には「焼夷弾」があったという事実です。
焼夷弾と言うと太平洋戦争を思い出しますが、太平洋戦争の焼夷弾との違いは破壊力や攻撃方法を除けば、一番の違いは↓
- 明治政府軍の焼夷弾 ⇒燃料はアルコール
- 太平洋戦争の米軍焼夷弾⇒燃料は石油
↑ですが、もうすでに明治初期には焼夷弾は戦争で使われていたことに驚きました。
戦争は画期的に科学の進歩を引き起こすといいますが、その進歩からに犠牲者を引けば何も残らないのも事実でしょう。
| 固定リンク | 0
コメント
ほんにねぇ、戦争で残るものは「悲惨」だけです。
今の情勢でいえば、こんな記事があった。
「米海兵隊のネラー司令官は25日、北朝鮮の核・ミサイル開発を受けて朝鮮半島で有事 が起きた場合、地上戦を伴う戦闘に発展するとの見通しを示した。「非常に暴力的で困難な 戦いになる」と。、だから、外交解決を優先させるべきだと主張。首都ワシントンで講演後 の質疑応答で語った。」
日本は外交を優先させようとしているのでしょうか。
投稿: へこきあねさ | 2018年1月27日 (土曜日) 20:47
こんばんわ。
・「文章」を読んで。
これは、初めて聞きましたね。
投稿: H.K | 2018年1月27日 (土曜日) 21:11
へこきあねさんへ
先日亡くなった野中元自民党幹事長の「戦争を経験した藻にとって憲法9条の改正は反対です」ということばが重いです
H.Kさんへ
当事者の地域でないと、興味の薄い話題かもしれません
投稿: 玉井人ひろた | 2018年1月28日 (日曜日) 08:08
薩摩勢の多い西軍は「薯焼酎」を使った?
投稿: ましま | 2018年1月28日 (日曜日) 09:52
ましまさんへ
どうなんでしょうね?そこまでは判らなかったですが、たぶん外国製だとは思います
投稿: 玉井人ひろた | 2018年1月28日 (日曜日) 15:35
(# ゚Д゚) ムッカー!
今で言えば 内戦の日本だったのだと思うけど
戦争はどの時代も 悲惨!
悲しみと恨みしか生みだしませんね!
今の日本もどこへ向かおうとしているのでしょうか???
投稿: Pee | 2018年1月29日 (月曜日) 05:51
Peeさんへ
“過剰防衛”という言葉が有りますが、国際社会ではそれが無いのが常識、難しい判断です
投稿: 玉井人ひろた | 2018年1月29日 (月曜日) 07:51