« マンホール型基地局 | トップページ | 明日は土用 »

2018年4月15日 (日曜日)

昭和のHONNDA製50ccバイク

現在は、どこの高校でも禁止されたようですが、わたしはホンダスーパーカブ50ccで通学していました。

ちょうどそころ、昭和40年代は50ccバイクのブームが起こり、現在は原付を「原チャリ」などという‘ふざけた名’で呼んでいますが、そんころは50ccを「ゼロハン」と呼称し名車が各メーカーから続々と発売されていました。

馬力も、4.5馬力から上は7馬力と言うのも出て、友人はその高馬力原付で時速90㌔を出したと自慢していたのを覚えています。

わたしのスーパーカブも、そん頃で時速60㌔以上は出ていました。

言っておきますが、そのころも原付の法定速度は時速30㌔以下ですから、上記の速度は全部違反です。
まだヘルメット装着は義務になっていなかったので、ノーヘルでその違法速度を出していたことになり、今考えるとゾッとします(

そして、50ccバイクのブームは相次ぐ事故で、昭和40年代後半にヘルメット装着が義務になって終わった気がします

今現在、そのころの原付がマニアのあいだで人気を博しているらしいのです。スーパーカブマニアがいるのは知っていましたが、「ホンダ・モンキー」が凄いようです。
なんと中古車でも中古車でも平均して30万円~40万円で取引され、50周年記念の最終モデルにクロームメッキを施したものは一時期100万円ほどの値がついたようです。

私としてはモンキーより、友人が載っていた「ホンダDAX(ダックス)」というバイクが、当時とても羨ましく見ていました。

モンキーは製造廃止が決まり125ccにシフトするらしいですが、ダックスはどうなのでしょう?
そして、ダックスに乗っていた友人はもう40年以上も遭っていないが、今は何をしているのだろうか・・・バイクはどうしたのだろうか・・・

ちょっと、思い出してしまいました。

| |

« マンホール型基地局 | トップページ | 明日は土用 »

コメント

ホンダモンキーは車のトランクへ収納可能なレジャーバイクとして売り出されていたように記憶しています。いまも尚時折見かけることがありますが、おそらく当時のものではないのでしょうね。
わたしは50年代“ノーティダックスホンダ”というのに乗っていました。タイヤのぶっといところが面白かったのですが、走りは断然スーパーカブのほうが快適でした。
どうしても欲しいという方がいて、あげるといったのですが、もらうというのは気が引けるというので50円で売りました。
“玉井人ひろたさん”の話に、なんだかなつかしくなってしまいました。

投稿: koji | 2018年4月16日 (月曜日) 06:20

kojiさんへ

なんだか、ダックスのエンジンはスーパーカブのを使ったそうですが、あの太いタイヤ、憧れでした。

投稿: 玉井人ひろた | 2018年4月16日 (月曜日) 11:57

モンキーとダックスですか?
懐かしいですね。
わたしは原付免許を持たなかったので、ほとんど乗りませんでした。
18で普通免許を取ってから、原付は見向きもしませんでした。

投稿: もうぞう | 2018年4月16日 (月曜日) 18:24

もうぞうさんへ

殆どの方そうではないでしょうか。免許証の原付のところに印がある人は珍しいと思います。

投稿: 玉井人ひろた | 2018年4月16日 (月曜日) 20:47

HONDAの50㏄バイク、懐かしいですね~。
わたしも少し乗っていた頃がありました。
HONDAのモンキーが、30~40万円、凄いのは
100万円で取り引きされているのですかーー。
凄いですね。
玉井人ひろたさんの記事に懐かしく
思いました。

投稿: 浜辺の月 | 2018年4月17日 (火曜日) 22:29

浜辺の月さんへ

私は今でも、スズキのスーパーカブ型原付に乗っています。小回りが利き良いです
震災のころは、ガソリンが無くて燃費のいい原付バイクは重宝しました

投稿: 玉井人ひろた | 2018年4月18日 (水曜日) 08:35

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: 昭和のHONNDA製50ccバイク:

« マンホール型基地局 | トップページ | 明日は土用 »