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2018年7月17日 (火)

ひめゆりの塔事件

「ひめゆりの塔事件」は昭和50年(1975)のきょう、7月17日に当時は皇太子だった今上天皇および美智子さまが皇室として初めて第二次世界大戦後の沖縄県訪問という歴史的行事の時に起きた“テロ事件”または‘ゲリラ事件’とされています。

事件の内容は沖縄県糸満市で発生し、新左翼党派・沖縄解放同盟準備会(沖解同(準))と、共産主義者同盟(西田戦旗派)の各メンバー2人が共闘し、潜伏していたひめゆりの壕から火炎瓶を投げつけるというものでした。

さらに別の同メンバーが白銀病院からガラス瓶、スパナ、石を投げつけるというものでしたが、皇太子明仁親王(当時)および同妃美智子さまや関係者に大きな怪我人は無かったようです。

この事件によって、われわれ本土の人間には「沖縄県民の太平洋戦争後の怒り」の強さを印象付ける結果になりましたが、その事件を起こした2人の思いはもっと別な意味・目的が在ったこと、それはほとんど知られていません。

特に火炎瓶を投げた2人のうち黒いヘルメットを着用していた人物は事件当時は25歳で沖縄解放同盟(沖解同)という在京の沖縄出身者でつくるセクトの幹部を立ち上げたばかりのころで、この事件によって組織の存在を全国に知らしめる、いわばPRがその目的だったというのです。

ですから、怪我をさせるようなことは初めから考えていなかったようです。

そしてこの事件のその後と言うのもあまり報道されていません。

この事件は、「礼拝所不敬罪」、「火炎瓶処罰法」で送検され、さらに皇太子らへの「殺人未遂」など大きな罪に問われなければならない事件だったのですが、罪状は「公務執行妨害」でけりがつきました。

その最大理由は「皇室を裁判に出廷させられない」だったようです。

罪状が公務執行妨害ですから、知念氏は2年半の懲役刑で出所したようですが、出所後はその行き先崎に公安刑事が現れるため停職には就けず看板屋や古書店など職を転々としたそうで、ほとんど酒浸りの状態で暮らしていたという話です。

あの事件と時の沖縄県民の本当の思いはどうだったのでしょうかね?

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コメント

戦中の沖縄県民の苦難・犠牲を一番知っており苦悩していたのが昭和天皇だと思います。その上で、沖縄返還の時期を誤ると、過激派による復帰反対運動や共産派、独立派などで秩序が保てなくなる、それでその恐れが無くなるまでという気持ちでしょう、返還を急がないようGHQに希望されていたようです。
それを知っていたのが今上天皇で、沖縄訪問や、激戦地慰霊など、昭和天皇に変わって特別の思いを込めて何度も訪問されています。

投稿: ましま | 2018年7月18日 (水) 08:07

ましまさんへ

ほんとうに何度も訪問されましたね

投稿: 玉井人ひろた | 2018年7月18日 (水) 19:09

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