発掘
原発事故によって全町避難になった福島県双葉郡浪江町は、現在復興事業の一端として北産業団地造成を始めているのですが、福島県は遺跡の宝庫で浪江町のここもそのひとつで工事に先立ち発掘調査が行われていました。
その調査結果が9月5日に発表されたのですが、その内容が驚きのものだったので県内ではちょっとした話題になっています。
遺跡の全容は↓
- 今から約1600年以上前になる古墳時代の竪穴住居60棟以上を発見
- このうち10棟以上が炭化した柱材や屋根材が焼け落ちた状態で残されていて、火災で焼失したとみられる
- 1300年ほど前になる飛鳥時代末ごろの製鉄炉も見つかった
同時代の住居の軒数は福島県須賀川市の「高木遺跡」に次ぐ大規模のものであり、これから新たな発見が期待でき、工事着工は遅れそうです。
60棟という住居数から少なくても200人以上は暮らしていた大きな集団が、またまた福島県内にあったということで、驚きでした。
この時代、中央政権は現地の狩猟民族の蝦夷(えみし)を追い払い移住政策を行っていた時代でもあります。
第二次世界大戦時に日本が行った朝鮮半島移住や満州移住政策と同じですね
その移住政策がかなり進んでいたことの証しではないかと、個人的には考えています。
災害やスポーツ界の不祥事の最中、福島県では静かに復興活動は続いていますね。
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コメント
この時代、日本海沿いに船を使って北上し貿易拠点を作りながら北海道まで行った阿倍比羅夫と抵抗を受けながら陸奥の植民政策を進めた大和政権の両面作戦があったようですね。
投稿: ましま | 2018年9月 9日 18:26
ましまさんへ
そのようですね。人は権力を持つと同じ行動をするようです
投稿: 玉井人ひろた | 2018年9月 9日 20:59
こんばんわ。
・「文章」を読んで。
これは、初めて知りましたね。
投稿: H.K | 2018年9月 9日 21:32
こんばんは。
遺跡といえば
夫の実家の白石の山里にも横穴古墳、~ではなく住居跡だそうですが、あります。裏山の田んぼの先に(今歩耕作放置の地)に。
前方には窯跡なども、
又畑や田んぼを耕せば矢じりが出てきて
昔見せてもらいました(今でもどこかにありますが)
昔々確かに人々が暮らした痕跡がありますね。
投稿: マコ | 2018年9月 9日 22:34
古墳時代の竪穴住居60棟・・・縄文時代は東日本の方が進んでいたようですね。発掘がすすむほど文化の高さを再発見して驚くようです。古墳も・・・・また知らせてください。
投稿: 山口ももり | 2018年9月10日 08:54
H.Kさんへ
それはなによりでした
マコさんへ
そういうところ、県内にも沢山ありますが、見つけたときは嬉しいでしょうね
山口ももりさんへ
時代は、縄文時代よりずっと後で聖徳太子が居たころの話です。時代的に言えば
縄文時代→弥生時代→古墳時代ということになり、こちらはかなり京の都からは遅れた生活のころです
投稿: 玉井人ひろた | 2018年9月10日 10:44
遺跡や古墳が発見されるのは、結構な事ですが、そのために工事が大幅に遅れることになります。
心配ではあります。
投稿: もうぞう | 2018年9月11日 07:20
もうぞうさんへ
関係者はそれで悩んでいます
投稿: 玉井人ひろた | 2018年9月11日 07:58