昭和20年の9月
昭和20年8月15日、昭和天皇による終戦を告げる玉音放送があったことは歴史で習う重大な事柄です。
私の祖父が太平洋戦争で戦死した場所はフィリピンのルソン島南部の山中と記されています。
そして、最後を迎えた日は‘昭和20年9月21日’です。
つまり、終戦から一か月以上もその事実を知らないまま山中を行軍して亡くなったことになります。
我が家には両親に妻子、妹達、祖母まで居る一家の大黒柱で年齢もすでに四十を越しての出征での戦死、その最後の時、何を思ったのか想像もつきませんが、無念さ悲しさだけは「父ちゃんは泣いて出征の挨拶をしなかった」という母の話しから想像ができます。
国のトップたるものには、どんな恥をかいても、どんな非難を浴びても、戦争は回避してもらいたいものです。
今の政権はそれとは違った方向に進もうとしている気がしてなりませんが、私の偏見でしょうか?
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コメント
こんばんわ。
・「文章」を読んで。
これは、初めて知りました。
投稿: H.K | 2018年9月22日 (土曜日) 21:26
ほんとですよね。
日本国内は、有名なラジオ放送で多くの国民が知ったようですが、戦地などでは知るよしも無い?
ましてや世界的には9月2日とか3日とか言われていますしね~
さらに終戦自体を知らずに投降出来なかった兵士もいましたしね。
投稿: もうぞう | 2018年9月23日 (日曜日) 07:06
H.Kさんへ
あまり珍しい事例ではないと思います
もうぞうさんへ
聞いたところによれば、たぶん、終戦を知っていたとしても投降できるような場所には居ないし、そこまでの体力は無かったようです。
投稿: 玉井人ひろた | 2018年9月23日 (日曜日) 07:45
私は叔父を同様にフィリピンで亡くしました。もちろん死んだ場所・日時もわからず遺骨もありません。当時フィリピン派遣・即生きて帰れなかったことを意味します。
員数合わせのため子供をかかえた年配者が応召されました。
集団的自衛権であろうがなんであろうが、戦争をはじめたらまけるわけにいきません。大和魂のあるひとほどこういうことにしてしまうのです。これを自縄自縛というのです。
投稿: ましま | 2018年9月23日 (日曜日) 18:22
ましまさんへ
自然災害と同じですね。戦争も始まったら、どうなん方向に進むか、どんな惨劇が起るかはわかりません。
ましてや、現場に行かない政治家は知る由も有りません
投稿: 玉井人ひろた | 2018年9月24日 (月曜日) 08:22