明治元年の‘打ちこわし’(集団暴動)と渋谷
戊辰戦争から150年目を迎えた今年、福島県内ではあちこちでそれに関連した行事が開催されています。
石川町では10月31日に鈴木重謙屋敷で、特別企画展「慶應四戊辰日記-庄屋が見た戊辰戦争-」が始まりました。
底では山白石村(現浅川町)の庄屋・『松浦孝右衛門』が慶応4年(1868=明治元年)年1月から1年半記した日記が公開されているようです。
日記には、戊辰戦争の足音が徐々に近づき、住民の不安が募る様子、孝右衛門本人が石川地方の有力者として、西軍(新政府軍)の人足手配などに駆り出されていたこと、砲弾が飛来し、死者、怪我人は両軍合わせて約30人に及んだという記述もあるようです。
私の興味を引いたのは↓
明治元(1868)年12月に「世直し一揆」として表面化し、孝右衛門の自宅も打ち壊しに遭った
という記事でした。
この戦争では両軍の兵士たちが去った後に自宅を燃やされたりした住民たちが、食料をなどを求めて暴徒化し焼け残った家々を大集団で襲って壊し、物品や食料を略奪する事例が、我が村にも起こったことが記禄に在ります。
教科書には出てきませんが、福島県内のあちこちで起こったことがこの日記で判ります。
つまり、日本人にも暴徒化する気質は元々在るといことです。
昨日の、渋谷でのハロウイン騒ぎはくしくもその証となった気がしますね。
“政治屋”のみなさま方はこのこと、ゆめゆめ忘れることなかれ です
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コメント
慶応3年、関西・東海をはじめ全国的におきた「ええじゃないか」と戊辰戦争との関連や、民衆の本音・動機など系統的な解明が進んでいません。
投稿: ましま | 2018年11月 2日 (金曜日) 08:18
ましまさんへ
「ええじゃないか」は騒乱の記録では有名ですね
投稿: 玉井人ひろた | 2018年11月 2日 (金曜日) 08:52