昭和39年 オリンピック
2~3日前、行きつけの床屋さんに行ってきました。狙っての一番乗りでした。
主人は村の先輩でもあり、まだ誰も来ないので散髪しながらおしゃべり、なんとなくオリンピックの話になり、そういえば中学校には当時の聖火ランナーが持ったトーチが記念として飾ってあったことの話になりました。
材質はステンレスだったのか、今と違ってただの鉄パイプだったのでさぞかし重かったのだろうと二人で話しているちに
先輩が・・・
「おれ、走ったんだよ。トーチは持たなかったけど伴走だな。ユニホームもまだ有るはず?」
私は、さすがにユニフォームはもう無いと思ったがいわなかったです。
つまり、先輩は村で選ばれた何人かに入っていたらしく、当時は中学生だったとなり、わたしは何歳だった?とか、テレビはカラー放送はじまったころだなあなど、次々と話が弾みました。
ただ先輩の話で印象に残ったのは
「あんときのマーク『日の丸に五輪』、シンプルで良かったなぁ」
でした。現在のロゴマークはあまり気にいっていないようでしたね。
あの時の東京オリンピック開会式の行進曲は「オリンピック・マーチ」という題名で、福島県の偉人「小関祐而氏」の作曲でした。来年は小関氏をモデルとした「エール」という名のNHK朝のテレビ小説が始まります。
そして最後に二人が同意したことは↓でした
「オリンピックは、やっぱ秋(10月)だよな」
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コメント
先輩とは、何歳違うのでしょうかね~
この記事でひろたさまの歳がバレると期待したんですが、なかなか尻尾を出しませんね。
ま~お互い様ですが。。
投稿: もうぞう | 2019年7月26日 19:21
そうだ!
オリンピックのロゴはシンプルが
スッキリしていいのにねぇ!!
何かと目立ちたがりの
金がかかるオリンピック騒ぎ!
こちらでは 遠い世界の出来事みたいで「静観!」
投稿: Pee | 2019年7月27日 06:13
もうぞうさんへ
先輩にも都市の差を聞かれ「19・・何年々?」と問いたら絶句してました。帰宅して調べたら、私と先輩は9歳違いの8学年差のようでした。
Peeさんへ
あのロゴだけでも莫大な費用が掛かるのには驚きました
投稿: 玉井人ひろた | 2019年7月27日 07:58
TVで冷房の効いた部屋で見るのでいつでも良いのですが、出場選手や関係者にとっては夏の暑さはこたえるでしょうね。
投稿: 吉田勝也 | 2019年7月27日 10:46
吉田かっちゃんへ
競技によっては暑いほうが良いのもありますが、其れでも暑過ぎはよくないと思います
投稿: 玉井人ひろた | 2019年7月27日 11:51