トウゴウ村
日本では戊辰戦争が終わり明治政府が安定し始めた明治30年代(1900年代初頭)、カナダのサスカチュワン州東部ではウィニペグからエドモントンを結ぶカナダ太平洋鉄道(CPR)の線路が建設されたそうです。
その際、7マイル(約11km)おきに駅がつくられ、その駅の建設に携わった責任者がそれぞれに名前をつけて行った結果、いくつかの村や町に日本語の地名を授かることになったんだそうです。
そのうちの一つに「トウゴウ村」というのが在るのを、先日のテレビの旅番組で紹介され知りました。
「トウゴウ村」の名の由来は、日本でも有名な日露戦争で活躍した日本海軍の東郷元帥のことで、日露戦争後、1906年に村となったときに改名されたそうです。
テレビで村の老人に名前の由来を聞いたときに「トウゴウはロシア軍に勝ったすごい日本の軍人だろ」と、ちゃんとその名の由来と歴史を知っていることにも、驚いてしまいました。
それだけ日露戦争での日本の勝利は欧米や世界を驚かせる衝撃ニュースだったことがよく判るエピソードです。
この日露戦争での日本軍勝利は、欧米でそれだけの衝撃ですからアジアでの衝撃はとんでもないものだったようで、「アジア人も欧米人に勝てる」と多くのアジア人が行動を起こします。
中国共産党をつくった「毛沢東」、日本へ軍事留学を決意する「蒋介石」、そしてイギリスやフランス・オランダの植民地だったアジア各地から独立戦を戦うために日本へ命がけで軍事留学に若者が渡ってきてます。日本軍はそれを快く受け入れ教育をしたそうです。インドのモースは有名ですね。
そんなですから、欧米諸国が日本をよく思うはずはなく日本たたきが始まります。それが第二次大戦へと続き、後のアジア植民地の独立へと進んでいくことなど、当時の明治政府は考えもしなかったでしょうね。
歴史は輪廻、そしてまた・・・
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コメント
みごとな推察です。
ヨーロッパ諸国がアジアを植民地、または支配下にしたわけですが、日本のように非難されない理由とは?
見解を伺いたいですね。
投稿: もうぞう | 2019年8月28日 07:17
もうぞうさんへ
推察は無かったと思いますが、
植民地の人々の多くが、植民地であることが良く理解されていなかったことも大きいですが、イギリスやフランスの帝国主義が一番の要因でしょう
投稿: 玉井人ひろた | 2019年8月28日 07:29