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2019年10月 2日 (水)

里の秋

日本海軍がハワイの真珠湾のアメリカ軍基地に攻撃を加え、太平洋戦争が始まった昭和16年、その年に動揺雑誌に投稿された童謡の詩がありました。
題名は「星月夜」、投稿したのは当時は教師で、真珠湾攻撃成功に感激し書き上げた斎藤信夫氏です。

 「 星月夜 」(昭和16年12月) 作詞 斎藤信夫

しずかな しずかな 里の秋
お背戸に 木の実の 落ちる夜は
ああ 母さんと ただ二人
栗の実 煮てます いろりばた

あかるい あかるい 星の
鳴き鳴き 夜鴨の 渡る夜は
ああ 父さんの あの笑顔
栗の実 食べては 想い出す

きれいな きれいな 椰子の島
しっかり 護って くださいと
ああ 父さんの ご武運を
今夜も 一人で 祈ります

大きく 大きく なったなら
兵隊さんだよ うれしいな
ねえ 母さんよ 僕だって
必ず お国を 護ります

歌詞の内容は、ブルーの文字以外の歌詞はあの有名な童謡「里の秋」ですね。これが、「里の秋」の基になった童謡です

この投稿掲載から4年後の昭和20年8月に終戦となり、それから4ヶ月ほど経ったころ、国営放送(現NHK)は、戦地・外地(旧属国領)から疲弊し命からがら引き上げてくる復員兵や一般人を出迎えるための「外地引揚同胞激励の午后」というラジオ番組を企画しました。

番組内で、引揚者たちを慰労し、歓迎する歌を流したいとして、童謡作曲家で児童歌唱団の主宰をしていた海沼實(かいぬまみのる)氏に依頼します。
放送まで一週間しかない中で困っていた海沼氏は以前童謡雑誌に投稿された斎藤氏の「星月夜」の歌詞が頭に浮かび、すぐに斎藤氏に連絡し、「星月夜」の歌詞内容を少し変えてできたのが童謡「里の秋」だそうです。

つまり、ほぼ泥縄状態で出来上がった歌のようです。

昭和20年の12月24日、出来立ての楽曲「里の秋」が、海沼實氏の内弟子だった当時小学5年生で童謡歌手の「川田正子」の新曲として生放送されます。日本国中に「里の秋」がお披露目された瞬間でした。

放送され終わった当時の様子はすごかったようです。

川田正子が「里の秋」を歌い終わるとスタジオは一瞬水を打ったように静まり返り、次にスタジオ中に感動の嗚咽と万雷の拍手が響き渡った。
直後から局中の電話が一斉に鳴り出し、「今流されたのは何という歌か?」「もう一度聴きたい」という聴者からの問い合わせが殺到した。
一つの歌にこれほどの反響があったのは、NHK開局以来のことだった。

作詞を担当した斉藤信夫の歌詞、海沼實の曲調、そして川田正子の歌声が絶妙にマッチしたことによるものですが、その当時の日本人が望んでいた思いにぴったり合ったことが反響の要因でしょう。

「里の秋」はこの後、昭和21年(1946)から始まる「復員だより」のテーマソングとなり、毎日ラジオから流れることになったそうです。

「里の秋」は単なる童謡や唱歌じゃなかったんですね。恥ずかしながら、わたしは全く今までこのことを知りませんでした。

ちなみに里の秋の1番に出てくる「背戸(せと)」という言葉は「後ろ、裏口」という古い言葉ですが、私の地域では高齢者の間などで今でも使われています。「せどだ(背戸田)さ行ってくる(後ろの田んぼに行ってくる)」なんてね。

「里の秋」(昭和20年12月)

作詞 斎藤信夫 作曲 海沼実

1.

静かな静かな 里の秋
お背戸に木の実の 落ちる夜は
ああ 母さんとただ二人
栗の実 煮てます いろりばた

2.

明るい明るい 星の空
鳴き鳴き夜鴨の 渡る夜は
ああ 父さんのあの笑顔
栗の実 食べては 思い出す

3.

さよならさよなら 椰子の島
お舟にゆられて 帰られる
ああ 父さんよ御無事でと
今夜も 母さんと 祈ります

※尚、後に斎藤氏は一部修正した「里の秋」を作っている

しかし、戦中も終戦後にも通じる1番と2番の歌詞、なんとも不思議な斎藤氏の詩ですよね。

まるで、戦中と終戦後の両方に使われることが判っていたかのように思えます。

 

 

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コメント

「里の秋」にそんな裏話があったのですね。知りませんでした。

投稿: 吉田勝也 | 2019年10月 2日 (水) 16:24

吉田勝也さんへ

やはり知りませんでしたか。驚きですよね

投稿: 玉井人ひろた | 2019年10月 2日 (水) 16:30

なんとなくこんな話は聞いたことがあります。
海沼 実はその後「みかんの花咲く丘」などでも
川田正子と組んで大成功しました。
当時の国民感情をぴったりと受け止めていたのでしょう。
ところで、「里の秋」はいまだに「うたごえ」でも
介護施設の「歌伴」でもよく歌われます。
日本人はいまだに「戦争の思い出」を引きずって
いるのでしょうか。

投稿: へこきあねさ | 2019年10月 2日 (水) 21:09

へこきあねささんへ

「里の秋」には、戦争の面影はわたしには感じられません。
やはり、昔の田舎の思い出、または子供のころの思い出に浸れるからじゃないでしょうか。

投稿: 玉井人ひろた | 2019年10月 2日 (水) 21:56

こんばんは、玉井人ひろたさん。
「里の秋」、原型は「星月夜」でしたか?
「星月夜」は、わたしは、知りませんでした。
わたしも「里の秋」は、田舎の風景と秋がイメージされる
曲です。
穏やかな和む曲です。
「星月夜」の3番と4番は、元々はそういうイメージ
だったのかもしれないけれども、「里の秋」でイメージ
しているわたしには、ちょっと合わない感じです。

投稿: 浜辺の月 | 2019年10月 3日 (木) 18:32

浜辺の月さんへ

3番4番を変えるという作曲家の海沼氏の素晴らしい機転でできた歌ですが、これほどイメージが変わるのはすごいと思います

投稿: 玉井人ひろた | 2019年10月 3日 (木) 19:09

今晩は。
懐かしい しみじみとした
童謡と思っていました。
栗の木があった実家の様子、幼い頃が思い出されます。

投稿: マコ | 2019年10月 3日 (木) 20:41

マコさんへ

私も同じです。ただ私は、子供のころは栗は生で食べるか、いろりであぶるのが一般的でした

投稿: 玉井人ひろた | 2019年10月 3日 (木) 20:45

2番までは、知っていますが、それ以降はよく知りませんでした。って言うか、戦争が色濃かったこともですね。
それにしてもそんな運命があったとは、
まったく知りませんでした。

投稿: もうぞう | 2019年10月 4日 (金) 07:19

もうぞうさんへ

私たちが習ったのは、この楽曲ができてからすぐ後新たに作られた「里の秋」のようです。

投稿: 玉井人ひろた | 2019年10月 4日 (金) 07:47

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