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2019年11月26日

自主避難の高校生のスピーチ

11月25日(月)、来日しているフランシスコ・ローマ教皇を迎えて東京都内で開れた東日本大震災被災者との集いで、2011年3月の原発事故で福島県いわき市から東京に自主避難している高校2年の鴨下全生(かもした まつき)さんが、

「線量がどんどん上がり小学2年生の時にいわき市から避難したが、避難先の東京では鉛筆で太ももを刺されたり、階段から突き落とされたりなどのいじめに遭い、死にたいと思うほどつらい日々が続いた。
だから、いじめられないために福島からの避難者であることを親友にさえ隠して暮らした

「政府からは正しい情報が欲しかった

「原発は国策、維持したい政府の思惑に沿って賠償額や避難区域の線引きが決められ、被害者の間に分断が生じた。
傷ついた人同士が隣人を憎み合うように仕向けられてしまった」

「僕たちの苦しみはとても伝えきれない。だから残酷な現実でも目を背けない勇気が与えられるように共に祈ってください」」

などという内容のコメントが発表されました。
これに対し、ローマ教皇はもちろんのこと、被災者や支援者が約300人ほど集まった会場からは暖かい拍手が送られたようです。

そして、フランシスコ教皇からは「多くの人々が被った悲しみと痛み」への祈りを呼び掛けながら

福島は、地震、津波、東京電力福島第一原発事故の三つの大規模災害、放射線の長期的な影響など田畑や森林が汚染され長期的な問題を突き付けられている人が少なく継続的な問題あるが、復興は力を結集すれば必ず果たせる」

↑というスピーチが行われたようです。

原発事故で福島県いわき市から東京に自主避難した高校二年の鴨下全生さんの体験やスピーチを聞きながら、あらためて自主避難者たちの思いを知り愕然としました。
自主避難者の方々は、今でも平成23年の事故から時間が止まっているんだと驚かされました。

あの事故の際線量は確かに急増しましたが、いわき市は最も低く、その線量はピーク時も東京都と同じ程度でした。

その同じ線量のところに避難され、いじめられ悲しい思いをしてもいわき市に戻らなかったこと、いわき市の人口は約34万人、自主避難者は約2千人、つまりほぼ全員が残ったいわき市の市民は彼のスピーチをどう思ったでしょうか?

彼と一緒に集いに参加した、帰還困難区域の南相馬市から現在はいわき市に避難している住職の田中徳雲さん(45)はどうおもったのでしょうか?

鴨下さん、勇気をもって告白したことは称賛できますし、これからの東京での暮らしは少し楽になるかもしれませんが、避難しなかった34万人のいわき市民、帰還困難区域からいわき市に避難している双葉郡の大半の人々、それらの方々からからはどう受け取られたでしょうか?

今では復興が進んでいる被災地の現状を見ることも無く、福島で避難せずに暮らしてきた人々に逢い思いを聞くことも無かったローマ教皇のスピーチは、偏見に近く感じてしまった私です。

申し訳ないですが、本当に申し訳ないですが、どちらのスピーチとも(自主避難もせずに暮らしてきた)わたしの個人的な意見としては、とても気分が悪かったです。

 

 

 

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コメント

避難を余儀なくされても
実際避難できる人は少数
そして避難しても避難先で偏見や差別?(いじめ)
があったり
避難しないを選択した多くの人は?
そこで生活せざるを得ないのが多くの現実、
見過ごすことのできない問題を
自分に大きな影響のない国民は見ない、見ようとしない。
そう思っても自分は何もしていない。
震災後娘の婿さん実家ではこちらに来たらというお誘いが?

お姑さんの実家が日本海側なので心配してくれたのですが仕事や学校いろんな問題がクリアーできないし結局その選択はなかったですね。
仙台から避難した方もいたけどね。

どこに逃げても災害列島日本に生まれた定めが現実
甘んじるほかないです。

投稿: マコ | 2019年11月27日 11:32

マコさんへ

強制に非難させられた人たち、自ら避難した人たち、どちらも選ばなかった人、選んでも戻った人たち、それぞれの思いがあります。
それを、ある一部の人だけを取り上げられたら、現実は見えないと思いますし、現状ではないと思います

投稿: 玉井人ひろた | 2019年11月27日 11:59

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