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2019年12月21日

右の頬を殴られたら左の・・・

「右の頬を殴られたら左の頬を差し出せ」これは新約聖書内に登場するもので、キリスト教信者ではなくても有名な教えです。

全人類の罪を背負い、その身代わりとして人々の救いのため自ら十字架にかけられたというイエスが説くキリスト教が、「慈悲と許しの宗教」であるということを象徴する言葉だとされています。

しかし、この言葉の真意はすごいのです。

なんと!! 暴力を用いることなく、“平和的な闘い方。相手へ屈辱を与える”ことを教えているのです。

例えば憎い相手を利き手の右手で普通に相手を平手打ちした場合、その相手の左の頬に当たるのが一般的です。

それを、聖書のように右の手で相手の右の頬を打つには、手の裏で打つことになります。裏拳というやつです。

昔は、卑しい身分の奴隷を殴る時に‘手のひら’で殴ると『手が汚れる』と考えられていたため、手の甲のほうで殴つのが通例だったんだそうです。

そこで右を打たれた奴隷のほうが左頬を「打ってみろ」と言わんばかりに差し出す行為は、手のひらで打つことが不浄と思う主人は打ちたくても打てないというジレンマが発生するのです。

もし、主人が頭にきて左の頬を平手で打ってしまった場合、奴隷と主人は対等となってしまい、主人にとって屈辱になるわけです。

そこには、手は出さないが体を張った抵抗と抗議の姿勢が見られ、キリスト教徒のある意味で暴力に近い激しさ・強さを感じます。

なんとも、すごい

修行として、民のためにひたすら自分を痛めつける仏教の世界とは正反対に感じました。

 

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コメント

こんばんわ。
・「文章」を読んで。
これは、初めて知りましたね。

投稿: H.K | 2019年12月21日 21:29

H.Kさんへ

コメントありがとうございます

投稿: 玉井人ひろた | 2019年12月22日 07:47

聞き慣れた言葉でしたが、真意は深いものだったんですね。
勉強になりました。

投稿: koji | 2019年12月22日 09:29

なるほどねぇ、そういう深さもあったのですか。
イスラムもほぼ同じですね。
そこいくと仏教は確かにソフト。
でも、それも権力が行使しようとした時
強大な力を発揮する。 
私は八百万の神様の信奉者でよかった (*^_^*)

投稿: へこきあねさ | 2019年12月22日 13:44

kojiさんへ

私も最近知りました


へこきあねささんへ

特に日本の仏教は、多様でイスラムもキリストも神道も認めていますよね

投稿: 玉井人ひろた | 2019年12月22日 16:06

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