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2020年1月21日

赤穂浪士が討入った日は、現在の〇月〇日?

毎年師走になるとテレビでは赤穂浪士討入、「忠臣蔵」の古い映画や話が出るのが常になっていますが、なんだか昨年末はほとんど無かったように感じているのは、私の勘違いでだったのでしょうか?

それはともかく、赤穂浪士(赤穂義士)たちが、吉良邸への討入を断行した日付は現在のカレンダーにすれば‘何月何日’になるのか、気になりませんか?

<講談、赤穂義士の吉良邸討ち入りの一節>

時は「元禄十五年、極月(師走)の十四日、寅の刻」、所は「江戸・本所松坂町の吉良上野介の屋敷・・・

上記のようになりますので、それを細分化すると

  1. 年号・年・・・元禄15年
  2. 干支  ・・・壬午(みずのえうま)
  3.  月  ・・・12月
    ※この年は閏月があるため、1年は13ヵ月
  4.  日  ・・・14日
  5. 六曜  ・・・先勝
  6. 時刻   ・・・午前5時前ごろ

これらのことを令和元年度(平成31年度)に合わせると、こんな日にちにあてはめられます。

 

 ①令和 2年 1月19日
  ユリウス暦では{1703年1月19日}のことになるから

 ②令和 2年 1月30日
  グレゴリオ暦では{1703年1月30日}のことになるから

 ③令和 2年 1月 8日
  旧暦の12月14日がこの日になるから

 ④令和 2年 2月 7日
  元禄15は13か月有り30日多いので、今年は旧暦1月14日にあたるから

 ⑤令和元年 12月14日
  単純に当日の月日を西暦に合わせたもの

このように5パターンができてしまいましたが、その当時・1700年ごろはまだ日本の暦も西洋の暦もまだ固定されたものは無く、⑤番以外はどれが正確とは言えないという意見も存在します。

ただ言えるのは、その事件が起こったのは立春前後からその近くであり、間違いなく季節は真冬だったことです。

真冬の日の出の約2時間近く前、人間が最も油断する時間たいだと言われます。

そこを忍者のように音を立てずに集団で忍び込み、ことを成就させた赤穂義士の行動は、まだ戦国の世の戦い方を武士たちはできるという危ない時代だったという証でしょう。

 

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コメント

なんと奥が深い?のですね。
ビックリです。

投稿: もうぞう | 2020年1月23日 07:11

もうぞうさんへ

物差しが多いと、こんな結果になるようですが、⑤番以外は全部合っているといっていい気がします

投稿: 玉井人ひろた | 2020年1月23日 08:43

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