1995年(平成7)4月26日、青森県六ケ所村の核燃料貯蔵施設にフランスからの核のごみ(高レベル放射性廃棄物)の搬入貯蔵が始まりました。
政府や日本原燃などからは、当時の木村青森県知事対し下記のような説明がなされました
<橋本総理大臣>
「最終処分については、知事の要請に応えるよう政府一体としての一層の取り組みの強化を図る」、
<田中真紀子科学技術庁長官>
「知事の了承なくして青森県を最終処分地にしない」、
<日本原燃>
「原発で使い終わった核燃料から再利用できるプルトニウムなどを取り出す再処理工場(青森県六ケ所村)は2015年(平成27)完成予定」
<青森県外に搬出する期限>
「30年後(2025年)~50年後(2045)までに青森県外に搬送」
しかし、再処理工場建設は安全対策工事などが間に合わないなどの理由で再三にわたり延期され、今年8月21日また1年間の再延期が決定され、延期は合計で25回目となりました。
そして問題の、青も森県外に作られる最終処分地の候補地は・・
- 2007年(平成19)に高知県東洋町長が文献調査に応募したが、町民らの反対を受け撤回
- 2016年(平成28)に佐賀県玄海町が前向きな姿勢を示したが、2017年(平成29)の適地調査で外れる
- 2018年(平成30)幌延深地層研究センター(北海道幌延町(ほろのべちょう))が、2028年まで10年の研究期間延長を決め、町を二分する議論となった
- 2020年、北海道の寿都町(すっつちょう)が高レベル放射性廃棄物(核のごみ)最終処分場誘致に向け、第1段階となる文献調査への応募を検討を表明(但し、反対多数)
寿都町(すっつちょう)は日本海側の漁業が主産業の町で、人口は3000人を切る状態で、年間の町税収入(2億円強)たらずで、処分場誘致すれば大幅な税収が望めるため町長は月内に町民向けの意見交換会を開き、9月にも応募するかを決めるとしているが、猛反発があります。
なんといっても、隣接する3つの町が「誘致反対決議」をして寿都町に撤回を求めました。
「ニンビー施設」とは「Not My Back-Yard」の頭文字をとって作った造語で、「社会には必要不可欠な施設だが、絶対に自宅近くには有っては困る、嫌だ、反対だ」という施設、例えば「火葬場」、「下水処理場」、「ゴミ処分場」のことをさすものです。
その究極が、「使用済み核燃・除染廃土等最終処分場」ではないでしょうか。
福島県の中間貯蔵施設にある除染土(関東の核のゴミ)も、たらい回しや延期・延期で年数だけが流れていくのでしょう。
「福島県は関東のゴミ捨て場」という忌まわしい汚名は、これからも続くことになりそうです。
きみまろ川柳> 「不景気で 一万去って また一万」
庶民は、毎日がこれの繰り返しです。「一難去ってまた一難」にかけたきみまろさん川柳、うまいことを詠むものです
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