いんがみだ
2005年4月25日、大学への通学の為にJR福知山線脱線に乗っていた当時19歳の岡崎愛子さんは、107人が死亡したあの大惨事の事故に遭い、1年近くの長期間にわたる入院生活をおくることになります。
治療のかいあって命はとりとめましたが、首から下にまひの障がいが残る体になってしまいました。
一変した生活を数年ほど送るうちにパラリンピックアーチェリー競技に出会い、練習に励み続けパラリンピック代表の座を会得しました。
岡崎さんは、競技の他に「日本財団ボランティアサポートセンター」主催のオンライン講演会で競技との出会いを振り返りながら、なりたい自分の姿を思い描くことの大切さを訴える活動も行っているそうです。
ご本には、福知山線事故の競技者という言われ方が嫌うそうですが、こちらとしてはあの大惨事と、その後の裁判で経営者らが無罪になったりりと、震災と共に記憶から消すことは不可能です。
報道でもそのことは触れないわけにはいきませんし、岡崎さんのかつやくによってあの惨事を思い出すきっかけになると思いますのでそこは了承し、我慢してもらいたいと思います。
パラリンピックの開会式で「片翼の飛行機」ヒロイン役をやった身障者の中二の和合由依由依さん、福島県の震災の詩人として有名な和合亮一さんと同じ名字なので「まさか親戚かな?」と思っていたら、和合さんの祖父は福島県人で、詩人の和合さんも親戚にあたるという偶然を知りました。
福島弁で「いんがみだ」と言う言葉があります。これは「ひどい目に遭って、大変だった」と言う意味です。
「いんがみだ」の言葉に漢字を入れると「因果 見だ」と書きます。
「因果」とは、仏教用語で「過去のことが、後になって影響を与える」という意味です。
つまり、因果の苦労を今味わって苦労したということが基となって転化した方言です。
パラリンピックが、過去の惨事や災害まで思い出させる=「因果」を感じることになるとは思いませんでした。
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コメント
パラリンピック競技を垣間見ると、みなさん健常者と
変わらぬ笑顔と闘志で戦いに参加。
しかし、ふとみるとどこか障害を持っている。
みなさん、それぞれに苦闘の歴史をかかえて、競技の
舞台にたっていることは事前の解説などでわかります。
人間の無限の可能性を思い知らされます。
投稿: へこきあねさ | 2021年8月27日 20:29
ひろたさん!
オリンピックより感動をくれるパラリンピック!
コロナ禍の児童生徒の観戦には 反対の声も
私もそうだったけど
パラの選手の苦労を見せない笑顔と
雄々しい戦いぶりに感無量に……!
これこそ今の差別社会の教育に必要なものと!
小学低学年はマスク外れたり
チョロチョロ席を立ったりなので
高学年からなら 感染予防ホントにきちんとして観戦もアリかな?
投稿: Pee | 2021年8月28日 06:40
>へこきあねさんへ
変わるぬ、同じ人なんです
>Peeさんへ
お子さんも感染する世の中ですから大変です
投稿: 玉井人ひろた | 2021年8月28日 07:41
あの少女は、詩人の和合さんのご親戚でしたか!気持を表現したい、人に伝えたいという遺伝子はつながっているのでしょうね。
開会式ではそのような紹介は無かったと思いますが、選考に変な憶測を呼ばないようにでしょうか。実力で選ばれたことは、見ていた全ての人が納得と思います。
子供達にパラリンピック競技を直に見せたいですよね。
Peeさんも仰るとおり、5年生以上なら予防対策と約束を守らせて観戦可能ではと思います。
投稿: 山桜 | 2021年8月28日 11:36
>山桜さんへ
たぶん、福島の地元紙だけでの発表だと思います。
地元紙では、県出身者やゆかりの人を大々的に報道していますので、その一環だと思います。
生で見たら、その思い感想と言うのは段違いでしょうね
投稿: 玉井人ひろた | 2021年8月28日 11:45
パラリンピックは殆どが日常目にしないと言うかTV等では見ないスポーツばかりです。すごい感動をくれますね。パラリンピックも開催されて良かったです。
投稿: 吉田勝也 | 2021年8月28日 12:59
>吉田勝也さんへ
関係者の努力は、大変なものだったでしょうね
投稿: 玉井人ひろた | 2021年8月28日 14:24