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2022年4月26日 (火曜日)

二人の新選組の長の墓が会津に在る

25日、福島県会津若松市東山町に在る「天寧寺」で、会津若松ライオンズクラブ(LC)が主催しそのメンバーや会津新選組同友会、いにしえ夢街道協議会の関係者ら合わせて約20人が出席して、古い墓石の前で墓前祭が厳かに行われました。

その墓石には「貫天院殿純忠誠義大居士」刻まれていて、並んで隣にもゆかりの人物の供養塔(会津LC建立)が在ります。

それは、新選組局長・近藤勇(慶応四年 四月 二十五日 没)の墓、そして供養塔は同じく新選組の土方歳三です。

墓には刑場から隊士が運び出した首が埋葬されていると信じられています。

それを指示したのが、処刑された5日後に若松について怪我の養生していた土方歳三だといわれますが、松平容保公とも言われていますが、たぶん両方でしょう。

土方の怪我で、代わりに隊の指揮を執っていたのは斎藤一(この時は山口次郎と名乗る)ですが、この斎藤一(大正4年に71歳で没)の墓も同じく、若松市内の七日町にある阿弥陀寺に在ります。

余談ですが、新選組で写真が残っているのは上記の「近藤勇、土方歳三、斎藤一だけです。

ただ「斎藤一」については、映画「るろうに剣心」を視た人や原作の漫画を読んだ人にはお馴染みですが、どうしても知名度は低いですね。

今でも新選組は歴史の英雄たちであり、福島県にとって戊辰戦争と会津戦争は消えない記憶なのです。

ウクライナの戦争も、これから100年以上後も語り継がれることでしょう。

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コメント

新選組といえば千葉県流山が会津に向かう中継点として、近藤勇や土方歳三の逸話が残っていることから有名でしたが、最近は話題から消えているようです

投稿: 真島節朗 | 2022年4月28日 (木曜日) 15:40

近藤勇の墓は、近藤家の菩提寺で東京の三鷹市にある龍源寺、
土方歳三の墓は、土方家の菩提寺で東京の日野市にある石田寺、
こちらが公式なものと思いますが、彼等程の悲劇の剣士となれば、
あちこちで縁の人がそれぞれに供養を続けていて下さいますね。
新選組の生き残り、斉藤一は本人の意志で会津に葬られたので
これは確かです。容保公のお膝元でやっと戦友達と共に眠りに
つけて、安堵したことでしょう。

投稿: 山桜 | 2022年4月28日 (木曜日) 15:50

>真島節朗さんへ

北へ北へと、(新天皇を守って)移動する際にいろいろなルートをたどっていますので、その数だけ逸話があるはずです。


>山桜さんへ

土方歳三のはお墓ではありません。「供養塔」です。
近藤の墓は、頭部(遺髪?)が埋葬され、こちらでは公式のものとされています。

投稿: 玉ヰひろた | 2022年4月28日 (木曜日) 16:58

玉ヰひろたさま
今更のcommentですみません。
会津は新潟と異なり小生にとって歴史的に興味ある地。
戦国時代から幕末にかけての英雄群雄そそられます。
新潟(市)は城下町では無いのでイマイチ歴史的には
話題性が少ないのです。

大化の改新の2年後(647年)渟足柵は日本書紀に記載されてます。現在の新潟市の一番古い記事? 
現在も沼垂(ヌッタリ)と言う地名で残っています。
新潟市はそんな程度。

投稿: 輝ジィ~ジ | 2022年5月 6日 (金曜日) 21:33

>輝ジィ~ジさんへ

そんなことは無いと思います。
戊辰戦争の時も、旧幕府軍(東軍)が外国から武器弾薬と物資調達の輸入基地だった新潟、福島県と並ぶ激戦地であったことを知っています

投稿: 玉ヰひろた | 2022年5月 7日 (土曜日) 09:03

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