島根県「竹島」の極秘プロジェクト
島根県は、かつてのアンケート調査で「日本の都道府県で、どこに在るのか判らないところ=1位」というランキングになったことがある県です。
場所は、日本海に面する県で隣接する県は、西に山口県、東に鳥取県、南側に広島県・岡山県という場所に位置しますが、なるほど聞かれても隣接県は直ぐに場所が思いつきますが、島根県は浮かび難いことは確かです。
今、この島根県に在る島根原発2号機の再稼働を同県が了承したことがニュースになって注目を浴びています。
しかし、島根県といえばなんといっても日韓問題の一つで互いに領有兼権を主張しあう「竹島」が在る県だということが一番でしょう。
この問題は、終戦後の昭和26年の国連総会において、日本の国連復帰の許可が決議された年にさかのぼります。(日本国内での国会決議は、昭和27年)
>第二次世界大戦の終了後からアメリカ軍の軍事訓練海域だった「竹島」は、1951年(昭26)にサンフランシスコ条約で正式に日本の領土であることが発表された。
ところが、
その発表に対し翌年の1952年(昭27年)に韓国政府が猛反発し、「竹島は韓国の領土である」として「李承晩ライン」を不法に設定するなどの行動が始まり、さらに島に施設を建設し実効支配し現在に至る。
わたしはその間、日本政府は韓国対して抗議は何度もしているが、行動や実力行使などというものは争いを避けるため何もしていなかったと思っていました。
しかし、日本政府は「竹島は日本の領土である」というアピールの為、決死の行動を行っていた事実を恥ずかしながらきょう知りました。
>1954年(昭29)5月、当時の久見漁協組合長だった脇田敏さんが率いる隠岐の漁師11人、
そしてその漁船を護衛の為に第三管区海上保安庁からは、5隻の巡視艇が同行し竹島及びその周辺海域に向かう。彼らの使命とは、竹島が日本に領有権であることを主張するための根拠となる"漁業実績"、
つまりここでは日本が漁をしている場所であるという既成事実を積むという命がけのプロジェクトが行われた。(当時の内閣=吉田 茂内閣)
命がけの竹島漁に挑んだ11人の漁師の方々、それはそれはものすごい緊張のなかで実際に漁はしたようですが、ほとんど何も獲れなかったようです。(故脇田敏漁協組合長の談)
こんなことがあったことを、なぜ今まで知らなかったのかというと、前々年(1952年)から日韓関係は緊張常態にあったので、これらは「極秘裏のプロジェクト」になっていて報道されなかったからのようです。
もしも、このプロジェクトが「極秘裏」のプロジェクトではなく、国内外にアピールしていたら現在の竹島問題はどうなっていたことでしょうか?
竹島問題が良くなっていたか、悪くなっていたかは不明ですが、今とは違った形になったことは確かでしょう。
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コメント
狭い日本でもどこにあるか知らない人もいます。
へき地の場合はなおさらでしょうね。
投稿: 吉田勝也 | 2022年6月 2日 (木曜日) 17:07
>吉田勝也さんへ
欧米人に言わせれば、日本はとても広い国だそうですが、日本人は狭いというイメージが固定されているようですね
投稿: 玉ヰひろた | 2022年6月 2日 (木曜日) 17:12
玉ヰひろた さま
竹島問題は日本政府の敗戦国と言う間違えた考え方が
基本となったのでは・・と。
それは別にして私は子供の頃、一番嫌いだった人物が
連日漁船拿捕で新聞に出る李承晩でした。
投稿: 輝ジィ~ジ | 2022年6月 7日 (火曜日) 09:53
>輝ジィ~ジさんへ
その年代ではないので、私の印象はその後からですね
投稿: 玉ヰひろた | 2022年6月 7日 (火曜日) 12:03