戦後最大の冤罪と言われた松川事件
1949年(昭和24)8月17日に福島県の旧信夫郡金谷村(現:松川町)を通る旧国鉄東北本線で国鉄列車が転覆し3人が死亡した「松川事件」(列車往来妨害事件)は、福島県内で起こった戦後最大のミステリー事件です
この事故では、まるでおこるのを知っていたかのように警察が駆け付け、まるで犯人が決まっていたかのように国労の組合員など計20人が汽車転覆致死などの容疑で逮捕起訴されていきます。
裁判では、無実の証拠は検察によってことごとく隠され、無実のアリバイ証言をした男性は謎の死を遂げ、死刑判決まで流れるように進んでいきました。
しかし、起訴された20人は無実を訴え提訴し1961年(昭和48)の仙台高裁差し戻し審で全員に無罪が言い渡され、1963年(昭和50)に最高裁で確定しました。
その20人のなかでたった一人存命だった阿部市次(あべ・いちじ)さん(99歳)が、昨年の2022年(令4)10月10日に老衰のため福島市御山井戸上の自宅で亡くなられていたことが今日の朝刊に掲載されました。
「松川事件」は戦後最大の冤罪事件といわれ、阿部さんは冤罪防止を訴えて語り部活動に取り組んでいたそうです。
国家権力が牙をむいた時の裁判の恐ろしさ、それがよくわかる事件の生き証人がまた1人いなくなってしまいました。
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