岳山変事(だけやまへんじ)
二本松市の岳温泉(だけおんせん)の前身「陽日(ゆい)温泉」が被災し、63人が犠牲となった文政7年(1824)の山崩れは、「岳山変事(だけやまへんじ)」として地元では語り継がれています。
「岳山変事(だけやまへんじ)」 とは
『岳温泉』はかつて、安達太良山山中の「鉄山(くろがねやま)」の直下に湧出地と温泉街があり、陽日温泉として栄えた。
山崩れは文政7年(1824)年の旧8月15日(新暦9月7日)の夜に発生。
台風で鉄山山腹が崩落し、200人超の死傷者を出す大惨事となった。
二本松藩が直ちに救助活動や支援に当たり、温泉場は(現在の場所に)移転を余儀なくされた。
それを後世に語り継ぐことを担っている「文政7年岳山変事顕彰会」によって、7日の金曜日に二本松市の「岳山変事供養観音」前で200回忌法要が行われました。
「顕彰会」は今後、岳山変事の被災者、支援活動従事者の子孫や研究者などを会員として募集し、調査研究や顕彰などに取り組んでいくことを発表したようです。
この時の犠牲者の多くが「湯女」と言われる今でいう遊女たちで、その墓は現在の岳温泉街の入り口付近手前の細い林道を入ったところに朽ち果てかけた小さな墓石が数多く並んで立っています。
今ではお参りすることも無いですが、その当時もお参りする親族らは無かった気がします。
貧富の差が激しく、貧しい家庭の女性たちの哀れな歴史です。
| 固定リンク | 2
コメント
こんばんわ。
・「文章」を読んで。
これは、初めて聞きました。
投稿: H.K | 2023年9月 9日 22:53
>H.Kさんへ
江戸時代末期のはなしですからね。知らなくて当然です
投稿: 玉ヰひろた | 2023年9月10日 08:36