歴代二本松藩主の墓所が一つになる
慶応4年(明治元年・1868)の干支は「戊辰(つちのえたつ)」でした、この干支の別の言い方は「ぼしん」であることから同年1月3日に西軍と東軍に分かれて始まった内戦を「戊辰戦争(ぼしんせんそう)」と呼びます。
それから156年経った今年、戊辰戦争後に始まった会津戦争に参戦した二本松藩(現二本松市、安達郡、本宮市、郡山市の一部、福島市の一部)の歴代藩主の丹羽(にわ)氏が眠る菩提寺は二本松市に在る大隣寺になります。
しかし、この墓所には二本松藩丹羽家2代藩主の丹羽長次(にわながつぐ)と最後の二本松藩丹羽家藩主となった10代長国、11代から17代孝一さんまでの丹羽家当主の墓が存在していません。
長次らが埋葬されているのは東京の青山墓地なのです。
このほど二本松史跡保存会は、長次らが埋葬されている青山墓地の丹羽家墓所を、二本松市の丹羽家菩提(ぼだい)寺・市史跡丹羽家墓所の入り口付近に移設することを決定しました。
同保存会や同会の後藤宏迪(ごとう ひろみち)会長らは
「二本松市民の心のよりどころとなっている歴代藩主の墓が一堂に会することは大変意義深い」
「二本松市民が全員そろった歴代藩主の墓を墓参できることは大変素晴らしく、保存会として今回の事業に関われたことは大変光栄なこと」「2カ所に分かれて埋葬されている歴代藩主を1カ所で埋葬することで、末永く墓所を保存することができる」
として、18代当主長聰(ながとし)さんと2年前から協議を開始し合意に至り、4月19日に同市で開かれた保存会の総会で正式に決定したそうです。
青山墓地にある台座を含め墓石、墓誌、慰霊碑2基を運搬し、大隣寺本堂脇と歴代藩公墓所参道階段の間に移設、費用は市の補助金を活用し、総事業費約800万円で整備するとのことです。
大林寺には、12~3歳の幼さで西軍と戦って死んだ「二本松少年隊」と隊長の墓もあり、これで菩提寺に一同がそろうことになります。
私も旧二本松藩内に先祖代々住むものとして感慨深いものです。
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コメント
こんばんは。
・「文章」を読んで。
これは、初めて知りました。
投稿: H.K | 2024年4月21日 22:05
>H.Kさんへ
私も同じです
投稿: 玉ヰひろた | 2024年4月22日 16:33